2012年01月29日

映画「ありがとう」

                 「もなかのあれやこれや」
今朝、地震が起こり、あわてふためいた。
ラジオから、私が住む地域の震度の大きさが伝えられていく。
再び、細かい縦揺れを感じ、身がまえた。

次にテレビをつけると富士五湖と河口湖の震度が大きかったことが表示されている。
「あー、とうとう、その日が来てしまったのかなー」

週刊誌やマスコミ、地震研究家等が、富士山噴火の可能性について述べているのを知っている。
故に、
「とうとう..」
という気持ちになってしまったのだ。
でも、何事もなくほっとする。

夜。
映画を観る。

前々回、還暦直前にゴルフプロ試験に合格した、古市忠夫さんのことを書いた。

阪神大震災の折、奇跡的に残ったゴルフバッグを見て、プロになろうと目指し、工夫をこらし練習を重ねた人。

2千人ほどの中から、一握りの人しか合格しない世界。
力ある若者がひしめき合って受ける試験。
ふんだんに練習が出来る時間を持っている若者達でさえ、遠い道のプロ合格。

その中で、見事合格した古市忠夫さんをもっと知りたくて、登場人物がモデルとなった映画
「ありがとう」
のDVDをレンタルし、観た。

「まー、驚きました」
約、半分の時間は阪神大震災の時の様子が描かれていた。
高速道路が倒れ、ビルが倒れた様子など、まったく当時と同じく再現されていた。

それは、今回の東北地震の時の様子と同じだった。

私が大好きなキャンディーズのメンバーだった、田中好子さん(スーちゃん)が奥さん役で出ていた。
そして見終わると、
「なるほど..、それで...」
と納得したことがある。

死を意識したとき、スーちゃんは自分の言葉を御主人に録音してもらい、葬儀の際、そのメッセージを流してもらっていた。
その中に、被害に遭った東北の人達に励ましのメッセージもあった。
テレビの前で、そのか細い声を聴いたのは、震災から二ヶ月後ぐらいだったろうか。

映画の中で、スーちゃんは古市忠雄さん役の赤井英和さんと、瓦礫となった街、そして燃えてしまった我が家で泣き崩れるシーンがあった。

『そうか、だから自分の命が消えようとしているのに、あんなに東北の人達を心配していたのか』

私は普段からボランティア活動をしていたスーちゃんだから、励ましのメッセージも入れたと思っていた。
それに加え、

『自分も同じ場面を先に演じていたから、よけいに人ごとには思えなかったに違いないな』
そう確信した。

もちろん映画だから脚色してある、
でも、詳細など何も知らない私だけど、わりと忠実に描かれている気がした。

さて、前々回、二度目でプロ試験合格...と書いた。
ゴルフレッスンの番組を見たとき記憶した事を書いたのだけど、映画の中では、一度目で受かっていた。
どちらが正しいのか判らない。
私が聞き違い間違っていた時は、訂正したい。

「ありがとう」
というタイトルの映画。

よくある、根性物語.と思っていたけれど、いろいろな角度で観れるお薦めの映画と、思ったしだいだ。

『映画観て 我も云いたし ありがとう 』

ayame1999 at 01:46|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや 

2012年01月24日

ポカポカ...。第620編

                    「もなかのあれやこれや」
昨夜寝る前、天気予報の通り雪が降りだしていた。

「たくさん積もらなければいいなあ..」
フラメンコのレッスンに行けなくなってしまう。

目覚めて二階から外を眺める。
すでに雪はやみ、ほっとする。ukikesiki

家々が立ち並んでいる電信柱の遥か先の方に、雪を被った大山が見えた。
いつも見慣れた家々の屋根も雪化粧をして、とてもきれい。

私は、しばらく、ガラスの向こう側を見つめていた。

大雪が降る地域の方達は雪おろしの作業中、必ず何人かが落ちて亡くなってしまう。
それを思うと、このくらいの雪でうっとりとなんかしているのは、何だか申し訳ない気がしてくる。

さて、震えるほどの寒さが続いていた、ここ数日間。
でも、私の心の中は、とても温かい気分に浸れる瞬間が何度かあった。

その中で、今日の二つを抜き出して書いておきたいな。

マンドリン関係者の方が私に云った。
「ニューイヤーオペラコンサートを録画しておきましたよ」
録画したDVDを渡された。

「習っているフラメンコ教室関係者の人達が出演するし、オペラの唄も聞きたいからNHKホールに行くのよ」
と嬉しくて、どうやら年末に私が話したようだ。

情けない。
記憶はない。

でも、嬉しいものだ。
ちゃんと覚えていて下さったのだから。
私は自分の家でも録画したものがちゃんとある。
でも、有難く我が家のテレビの下にしまった。
気持ちがとてもホンワカしてきた。

そして今日のレッスン後に帰宅する時の事だった。
バスを乗る程の距離ではないけれど、何となく今日は引き寄せられるように乗車してしまった。

「発車いたしまアァァすウーウッフン♪」
「前方ォォォウッフンよ〜し、」
正確な言葉ではないけれど、そう聞こえるように艶っぽい。

女性の運転手さんだった。

マイクを通して溜息のような優しい声。
一言喋るごとに乗客達が、運転手さんの背中を見つめていた。
特に男性乗客が落ち着かなく見えたのは私の思いすごしではないと思う。

車内が、ほんわかムード。
ピンク色に染まった感じ。
肝心の運転は、むしろ男性の運転手さんよりとても丁寧で静かな運転で安心が出来た。

『いつも、こういう運転手さんだったらいいなー』

「男性の方々ー、うかうかしていられないよー!」
女性が男性の職場にどんどん進出し、なお且つ優秀な人達がたくさん出現している現実。
私でさえ、男性より女性の方が...と思ったくらいだもの。

おかげで、私はお風呂に入ってあったまったのに加え、気持ちまで、まだポカポカしているしだいだ。
『バスに乗り 女性運転 我和み  』


ayame1999 at 23:32|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや 

2012年01月18日

古市忠夫さんを知って...。

              「もなかのあれやこれや」
出来ないことが、きっといつか出来るようになる。
そして、本当に出来る日がやってきたら何と嬉しいだろう。

色々な事に当てはまる。
でも、特に今の私には、フラメンコについてだ。

昨夜、NHKのEテレビでやっていた、ゴルフレッスンの番組を観た。
東北の大震災後、どんなにゴルフの仲間が誘ってくれても、私は断り続けてきた。
どうしても気持ちが許さないというか..。

画面の中では、結構高齢の指導者の人が、生徒役のタレントさんに教えていた。
実践の練習の後は、対談の場面があった。

「あー、この人のことかー」
以前、仲間から噂を聴いた事のある方。

今は70歳を超えているかな..と御見受けした。
還暦寸前で、ゴルフのプロ試験に合格した古市忠夫さんだった。

生徒役のタレントさんが古市さんに質問していき、エピソードが紹介されていく。

神戸に住み、阪神大震災で何もかも失ったあと復興に携わった。
そんな中で、プロの試験に挑戦した事。

試験を受けるには御金も必要。
裕福ではない中、奥さんに頼み頼み挑戦する...でも、ダメ。

今度こそ。
還暦寸前、かけていた生命保険から借入して試験を受け、

見事!
合格。

プレーする前と後に、必ずホールに向かって帽子を取って頭を下げるのだという。
どういう気持ちからですか..と質問された時、

プレー出来ることに、ありがとうございます..の気持ち....。
特に、阪神震災後から、感謝でいっぱいの気持ちになるのだと語っていた。
支え続けてくれた奥さんの話をした時は、思わず、ハンカチを目にあて男泣き。

「いいなー、こういう人って」

私は、古市さんのような人を数人知っている。
小さなお店を奥さんと二人で細々と営みながらも、倹約しながら好きなゴルフをやっていた人達。
御付き合いや、接待ゴルフなんかではない!

座布団でアプローチを練習したり。
狭い和室で、クラブの軌道を確認するさい、襖を破いてしまったり。
テレビに映っている古市さんの姿に、その人達の姿がだぶってきた。

阪神大震災後も、希望を持って頑張り続けてきた方だから、今回の東北での震災の話は重みがある。
お陰様で、私の偏った気持ちも修正させてもらえる事が出来た。

古市さんのようにはなれないけれど、気持ちは同じ。
私もフラメンコが好きで好きでたまらない。

「いつか出来る。きっといつか出来る日がくる」
今はとても難しくて出来ないことがある。
でも、いつかは..の言葉を胸に秘めていたい。

そして、思う。
私も五月が過ぎた頃、もう一度、懲りずに誘ってくれる人達と一緒にラウンドしよう...と。

『時として テレビは我を 修正し』

ayame1999 at 01:34|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや 

2012年01月10日

あのボランティアの人だったならば...。

                    「もなかのあれやこれや」
気仙沼から来ていた家族を東京駅まで送って行った。

お正月と比べれば、連休明けといってもすいているに違いない..と思っていたけれど、予想は外れ。
ものすごい人混み。

今回は、金曜日の夜から茶の間で話題になったのは、ボランティアの人達についての事。

震災後から瓦礫撤去やあらゆる場所で手伝ってくれている、或るボランティアの会について。
班を作り、テキパキと動いてくれ、今では、地元の人達にとって心強い存在になっているという。

「ほら、この人達なの...」
キッチンで食器を洗っていた私。
セーターを引っ張られるように、パソコンの前に連れて行かれた。

粉々になった木々の山で作業をしている様子が映っている。
地元の人達と喋りながら。

その中の一人、兵庫県から来ている青年が、私の家族が所属している郷土芸能の太鼓の会に加わり練習するようになったという。

私はこれまで、楽しい事や、音楽を聴きたくてユーチューブを開いた事は何度もある。
でも、津波や、被災地の様子をユーチューブ見ることはしなかった。
いや、したくなかった。
でも、現地に住む本人は、映像を観ながら、嬉々としている。

気仙沼の家にはパソコンがない。
だから、お世話になっているボランティアの人達の活動の様子が映っていること、そして、自分が改めて知る事も多かったようで、嬉しかったようだ。

『なるほどな..』
そう思うと、生の映像で伝えてくれる震災に関したユーチューブも、有難いと思えるようになった。
そして、絆まで深めようとしているボランティアの人に頭が下がった。

さて、混雑している東京駅のホーム。
私は東北新幹線の時刻表を見上げた。
何でもない案内。
金曜日の夜から、ユーチューブを見ていたせいか、

『ああ、あんなにひどかったのに普通の時刻表で新幹線が走ってるなんて、何てすごいんだろう』
大事な大事な掲示板に思えた。

何を今更、..、
と思ったけれど、残したい衝動にかられた。BlogPaint

携帯でパチリ。

ホームに新幹線が入って来た。
長い列が吸い込まれて行く。
すぐに席は埋まってしまい、座れなかった人が、デッキに立っている。

時間によるのだろうか、今までお正月のあとでも、こんなにも混んだことはない。
自由席のその車両のドアから、一度乗ったはずの老夫婦がホームに降りてきた。

「あれ、?おかしいなー、座れなかったのかなー」
後ろの方に立っていた記憶がある。
でも、そんなにものすごく後ろではなかった気がする。

見ず知らずの人なのに、勝手な想像するのは失礼かと思うけれど、人の良さそうな東北に住んでいる御夫婦に見えた。
『きっと帰るんだろうなあ...。青森かなあ..」

日本の昔の映画。
東京に住む子供たちに会いに来て故郷に帰って行く様子を淡々と描きながら、細やかな人の心を表した作品。
小津安二郎監督の「東京物語」を思いだしていた。

映画に出演していた老夫婦と違い、二人とも、とても小さい。
奥さんらしき人は、曲がった腰でやっと歩いている。
見ていて危ない。
両手に荷物を下げたご主人は、次の列に並んだ。
そして、奥さんは列から離れ、ドア付近の前の何か(柱だっか...、判らない)に寄りかかっている。

私は周りを見渡した。
判っていることだけど、やっぱりベンチがない。

ホーム下の待合室で待っていれば...。
ホーム端にある待合室で座っていれば...。
指定席を買って、ぎりぎりに目的の車両まで歩いてくれば..。

なあんていう言葉、ナンセンス。
普段私が利用する電車のホームとは比べられないほどの長さ。

その長いホームの何処かにはあるのかもしれない。
でも、何処にベンチはあるのだ...。

今回に限ったことではない。
このホームに来るたびに、不思議に思っていた自分だ。

老夫婦は次の新幹線に乗り込んで座れるだろうか。
奥さんも数十分だったとしても、寄りかかっていられるだろうか。

家に帰り、夜のテレビニュースが流れていた時のことだ。
驚いた!
或る銀行が、長い時間待たされる高齢者用に、優先用ソファーを増やしたニュースが取り上げられていた。

「銀行だけじゃないよー」

ボランティアの人達に、私の家族が住む気仙沼では、たくさん助けてもらっている。
でも、私は老夫婦に声をかけることも出来なかった。

「代わりに並びますから...」
或いは、次の車両が到着したらドアまで支えて一緒に歩いてあげることぐらい出来たはずなのに。
テレビに向かって文句を言っただけだ。
『東北へ 向かうホームで 観たシネマ 』



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2012年01月04日

迷い道。

               「もなかのあれやこれや」
昨日の続きとして書きたい。

引き続き箱根駅伝を観た。
東京に戻ってくる3日は、一位の東洋大が圧倒的な強さだったので、

「もう、テレビの前に座らなくてもいいかな..」
と思ったけれど、やっぱり離れることは出来なかった。

次々と入ってくる中継点では、いろいろなドラマが生じる。
やっとタスキを渡す時が来た神奈川大の選手。

「あっ!」
次に走る選手が手を伸ばしている前で、倒れこんでしまった。

あと数秒で、繰り上げスタートになってしまう時間とぶつかっている。
「立ってー、立ってー、..立ちあがるのよっ」
私は自分が立って、叫んでいた。

選手はフラフラと起き上がった。
『もうタスキを渡したと勘違いしているのかなー、迷い道にはいってしまったのかなー』
悲鳴のような歓声が響く。
また倒れた。
繰り上げスタートの鉄砲が鳴ったと同時に、タスキが次の選手に渡された。

今年も
「よし、私もへこたれず、頑張ろう」
一歩も走っていないくせに、まるで自分が走ったような気持ちになって身を引き締めさせられる。
箱根駅伝って不思議だ。

時間が経つのは早い。
夜7時から生放送されるニャーイヤーオペラコンサートに向かった。

何て広いんだろう。
NHKホール。
大きすぎて、どうしても座席表を確認しても判らない。
席を見つけることが出来ないなんて、初めての経験。
右往左往。
たぶん15分間ぐらい、迷いながら探し続けたと思う。
案内係の人を捕まえるのも大変。
やっと、自分の番がきて、席に連れて行ってもらった。

席のことはともかくとして、舞台の感想は...。
一言。
「すごい!」
荘厳な舞台
生粋のオペラファンでない私でも、感嘆するばかり。

きっと舞台作りは、紅白歌合戦でもこうだったのだろう。
アナウンサーと夏木マリさんが喋っている間に、背景や、場面を変えて行く。
20人近くの人達の動き。

「早くしないと、次の唄が始まっちゃうよ〜」
ちょっとのんびりに見えたひとの動きに目が行く。
でも、よけいな心配。
見事に、数秒も狂わず変化させていった。

来年は、このブログを読んで下さっている方に、ぜひ、ぜひこのニューイヤーオペラコンサートに行かれることを
「お勧めしたいなあー」

何人もの素晴らしい方々の唄を、一度に聴ける事が出来るから。
場面を作って行くのを見るのも興味深かったから。
何もかもが美しく判り易かったから。

家族が大喜びしていたから。
そして私も、とっても得をした気持ちになれたから。

こんな素晴らしい舞台で、よく知っている人達が踊っている。
そう思うと、とても嬉しく、誇らしかった。

『飽きもせず 我はいまだに 迷い道』
★☆★☆★☆★☆★☆★★
帰宅して留守録していたものを見たら、ついつい最後まで観てしまいました。
歌劇「カルメン」の曲から...の折り踊っていた舞踊団の人達の名前をぜひ書き留めておきたいです。
振付:佐藤浩希
踊り:矢野吉峰、
       アルテ・イ・ソレラ「東陽子、小西みと、柴崎沙里、鈴木百々子、関祐三子」   
   以上の方々です。

指揮者の方も、以前、各国で活躍する三人の指揮者の方が紹介されたテレビ番組を観ていた方だったので、何となく嬉しかったー。



ayame1999 at 10:21|Permalinkこの記事をクリップ!心の寄り道 | フラメンコ

2012年01月03日

ニューイヤーを迎えて..。

            「もなかのあれややこれや」
大学の箱根駅伝をテレビで観た。
『一度でいいから、沿道で応援したいなー』
そう思いながら実現していない。

どうしてこんなに感動するんだろう。
涙腺が緩んで困る。

ひたすらに、ひたすらに、様々な想いを背負いながら走る姿。
タスキを渡すとき、
どっと精魂尽きて倒れるこむ身体、
忍び寄る足音に抜かされてしまったときの顔、
ゴール寸前で、抜かれた相手をもう一度追い抜いた選手、
すっかり駅伝で顔なじみとなった、記録を達成した選手の笑顔、

『もしかしたら棄権してしまうのではないかしら...』
普通ではない走り方にハラハラ。
気力だけで走っているのが判る最後の東京農業大学の選手。

「ゴール間近だよ!ガンバレー」

あと数分で着けるはず。
届くはずのない声を出した時、時間切れで番組が終わってしまった。
すぐにラジオをつける。
『よかった、無事にゴール出来たんだ..』
ほっとして、スイッチを切った。

一人で戦う競技も素晴らしいけれど、皆の力で成し遂げられる競技は、感動が大きい。

さて、明日夜3日は、NHKホールに行くことになっている。
NHKニューイヤーオペラコンサート。

私が通うフラメンコ教室の先生が振付を担当し、舞踊団の方と以前、講師をして下さっていた先生がオペラの舞台に出演するという。

家で、その話をした時だった。
何と!

珍しく家族が、オペラを聴きたいと言い出した。
そして、一度でいいから紅白歌合戦で知るNHKホールにも行ってみたいと。

「席なんて残っているはずないでしょ!」

合唱や、東京フィルハーモニー交響楽団、東京バレエ団まで出演するという。
すぐに席は満杯になってしまったに違いない。

私は小言を言いながら、何回も何回もチケットを取るのに電話した。

こういうところで、
諦めてはいけない...、
という言葉が役にたったなんて。

キャンセルがあったのか、やっと二枚ゲット出来た。

本心は、私自身行きたいと思っていたのだ。
でも...。
結果は、自分から言い出さなくて済んだことにほっとした。

大のクラシックファンではない私。
詳しくもなく、せいぜいマンドリンで皆と演奏するくらいのこと。

でも、ニューイヤーオペラコンサートは、紅白歌合戦同様、オペラファンにはたまらない素晴らしい舞台だということは知っている。

それでも何かきっかけがあるから、
「ぜひに..」
強い願望に駆られる。

その証拠に、
『行きたい、行きたいよ』
毎年箱根駅伝をみて思いながら、行動にうつせないでいる自分がいる。

そう思うと、
きっかけの「フラメンコ」
に有難う、と云わなくては...。

★☆★★☆★☆★☆★
ソプラノ、テノール、バリトンの男性、女性の方々がたくさん出演するとのこと。
私はもちろんフラメンコも楽しみだけど、やっぱり豪華な顔触れの唄。
そして、演奏も。

いやいや、バレーも合唱も、そして、家族が行きたいと言った初めてのNHKホールにも興味があります。
私が通うフラメンコのお教室の方々も、或る曲で踊るとの事なので、ワクワク。

振付は、佐藤浩希先生。
踊りは、アルテ・イ・ソレラの舞踊団所属の方々と、矢野吉峰先生が出演するとのこと。

楽しみです。


ayame1999 at 00:05|Permalinkこの記事をクリップ!フラメンコ 

2012年01月01日

2012年元旦

「もなかのあれやこれや&VOON」

[VOON] 2012年元旦

BlogPaint


ayame1999 at 00:41|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや | VOON録音済日記

2011年12月29日

柔らかな..。

               「もなかのあれやこれや」
今年はもう終わりと思ったら、とても親しくしていた翁が亡くなってしまった。

マンドリンを月に二度、そして、外で仕事をしていた時期に、週に一度、30分程車を走らせウン十年間、詩吟のお教室に通い続けていた頃がある。(追記:途中からフラメンコも..。)

同じ師匠が近くの公民館でも教えていた。
そちらの教室の方と行事は一緒にするので、私は親しくなっていった。

その時の仲間が近所に数人住んでいる。
亡くなった翁もその一人。

近いということと、私の家族と話が合うらしく、よく遊びに来てくれた。
「気をつけてかえってよー」
月日は流れ、気がつくと、杖をつき僅かな歩幅で帰って行く後ろ姿になっていた。

そういえばあの方も、この方も。
懐かしい顔が次々と浮かんでくる。

「ほっぺをさわらせてね..」
吟を20代で始めたか、はたして30代に突入していたか記憶がない自分。
私の頬を両手で包んでくれた、あの方も、この方も..。
私を叱ってくれた人も。
次々と鬼籍に入っていった。

皆の前で吟を聴きながら、さらさらと達筆の習字で漢詩を書いていた、亡くなった翁の姿が懐かしい。
従業員を何人も抱え、経営者として厳しい時代を乗り越えてきた方。
時折若い頃の下ネタ話を聴かせてくれたり。
他人の事は決して悪く云わず、頭が柔らかく、器が大きな方だった。

「翁」と記した所以は、尊敬していた方だったから。

「あの時、家まで送ってあげればよかった...」
危ない足もとで、付き添い婦さんとやってきた日が、お目にかかる最後となった。
一緒に家まで送れば、道中お喋りがもっと出来たのに。
悔いが残る。

でも、しょうがないこと。
いつだって、誰の時だって悔いが残らない時なんてないのだから。

お通夜の席で10年振りに会えた人もいた。
自分にとっては或る程度納得出来る段も取れたことや、師匠が転居したこともあり、完全に吟から離れてしまった私。

叱られるだろうか。
悲しみの場所で、懐かしい人に出会えて嬉しさを感じてしまったのは...。

家に帰ると、近所のまん丸奥さんがやってきた。
「はい、今年のお餅よ...」P1000393

毎年、家のお餅つき器で作ってくれるお餅。
お米屋さんが真っ青になるほど美味しくて、上質。

「いっぱい作るのがくせになっているから、ごめんねー、手伝ってー」
今は少人数になってしまったのに..。
そう云って三日を空けずにお惣菜を届けてくれるのは、今も変わらない。

『私は、まん丸奥さんより、長く生きていたくないな...』
お別れしてきたばかりだったから、気持ちが淋しくなっている。
普段だったら、思いもしないことが頭をもたげてきてしまう。

まだお餅は柔らかい
私は一つ分だけ、左を切り取った。

『柔らかな お餅と会話 絶品味』

ayame1999 at 22:49|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや 

2011年12月26日

ほっとしました..。

           「もなかのあれやこれや」
急にこのブログが閲覧できなくなり、
「うっ、どうして?」
あわてふためいたけど、どうしても数日間は、事情があり、根をつめて目を使う事はタブーだった。

でも、パソコンで細かな作業は出来ずとも、頭の中は、
「どうしよう、どうしよう」
このまま私のこのブログがなくなってしまったら...。
心配のあまり、結局、臨時版をつくり、昨夜、私のホームページに乗せておいた。

もっとも今日、原因がわかり再開出来たけれど。
私がへんな所を押してしまった為、アクシデント。
操作ミス。

今後も、同じ過ちを繰り返す事も考えられるので、
「これからも、ブログを読んであげるよ..」
という殊勝な方がいらっしゃったら、左上にホームページにリンクしているので、どうぞ、お気に入りにでも登録しておいて下さいね。

再度アクシデントがあったときは、こちらに臨時版を設置してP1000365
おけるので...。

早速今回ページ中央に設置した「いつまでもフラメンコ臨時版」は、削除しておかねば...。

さて、25日の夜は、新宿にあるハイアットホテルでのフラメンコディナーショー。
今年も来れたことに感謝。
ディナーショーが終わると、ロビーで素敵な唄のショーをやっていたので、こちらも、ゆったりと聴いた。
無料なのだから、もったいない。

ロビーで聴いていた人達に、ワインまでサービスしてくれて
「やったねー」
いつ何が起こるか判らないと思うと、すべてが有難い。

「どうか、平和な世の中が続いてくれますように」
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2011年12月23日

何もいらないから..。

先日、ここ数年、行っている新宿の南口に寄った。
イルミネーションがとてもきれいな場所を足早に歩いていく。
時間はたったの15分程。

節電してくれているのか去年より地味な感じだっけれど、なんだか、平和が少し戻ってきた気がして、温かな気持ちになれた。

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2011年12月21日

ごめん..やっぱり変わったね.。

           「もなかのマンドリン」
日曜日
はマンドリンクラブの忘年会だった。
反省や抱負、最近夢中になっている事等を、順番に述べていった。

ベースの人が
「マンドリンの原点でもあります、リュートに挑戦しようと思っているんです..」
遠慮気味に云う。
途端に、
「弦は何本あるの?」
「どんな形をしているの..、バラライカみたいに平べったいの?」
質問が四方から飛びかう。

話はどんどん広がっていき、楽器の制作についてまで及んでいった。

例えばスペインの高価なギター
はたして、湿気が多い日本に持ってきて、そのままいい音色が出るか....?

「ケースの中に入れておく、乾燥剤があるじゃないの」
女性の一人がいえば、そんな簡単な事では済まないと却下されてしまった。
家の中の温度まで気を配るとのこと。
もっとも、目玉が飛び出る程の高級な楽器の事だろうけれど。

「どうして、マンドリンはマイナーなイメージがあるのかしら....バイオリンオーケストラに入っているのに..」
女性の一人がつぶやいた。

「調弦がくるうからですよ。バイオリンは弦が緩んでも、自分の指で音を調整しながら演奏出来るでしょ。でも、ギターやマンドリンはフレットがあるからね..」
誰からというわけでなく、男性陣の口が一斉に開いた。

「そうそう、日本の作家さんの楽器もバカにしちゃいけないですよ」
思い出したように云ったのは、日本酒を呑んでいたマンドラを弾く男性。

「ちゃんと気候に合わせているし、何より、日本人は器用なんだから」
私はその人が新しいマンドラを求めた時の、
「音色に一目惚れ」
した経緯を思い出し、頷いた。

話が一巡するとクラブの歴史話に花が咲く。
「25年じゃないよ、名前が変わる前も入れると、もっとだよ」
「キャー、いやだわ、みんな年をとるはず」

会長さんが当時からいる私と数人の女性に向かって
「でも、本当に昔と全然変わらないね、いつまでも可愛らしくて...」
何て優しいんだろう。
こんなおばさんになった私達に。
くすぐったい程のお世辞でも、感激。

二次会のスナックで、隣に座った優しい言葉をくれた会長さん。
私の耳元に囁いた。

「さっきはああ云ったけど...ごめん。やっぱり..」
ちよっと間があいた。
「◎◎さん、やっぱり変わったね。ウン、ごめん」
遠い別の顔と比較でもしているのか、私の顔をまじまじと見た。

「何さ、わざわざ訂正しなくても、鏡を見ているんだから解っているわよ!」
掌で背中をバシバシと叩きたくなった。

でも、叩けない。
この方だけでなく、他の男性陣も、誰に対しても親切なのはずっと変わらないこと。
叩けるはずないよー。
『お願いよ お世辞を言ったら 撤回無し』


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2011年12月17日

隣の車両へ..第610編

「もなかのあれやこれや」
数日前のことだ。
下北沢駅で井の頭線に乗り換える時だった。
大勢の人が階段を上がって行く。

「うっ」
一瞬、息をするのを耐えた。
予想通りホームレスのおじいさんが荷物を両手に下げているのが列の間に見えた。
最近、電車の中で見かける回数が増えてきている。
次から次へと乗客が急ぎ足で通りぬけていく。
私も息を止めて、急いだ。

そして今日、最寄りの駅からすぐ近くの駅に向かう時のことだった。
乗り込んだ途端に、異常な匂い。
周囲の乗客は、どんどん隣の車両に移動していってしまう。

すいている車内。
私は首を伸ばして、原因を探ろうとしてけれど、何処にどんな人がいるのか判らなかった。

次の駅で三人の男性が乗車した。
昼間の忘年会だったのだろう。
一人が、仮装行列に使うような、兎の耳を頭につけている。

ぐずぐずしていた仲間のもう一人が乗ろうとしたとき、ドアが閉まった。
「ドンドンドン」
分厚いガラスのドアを叩く。

「下がってください、後ろに下がって下さい!」
アナウンスが響いた。。
でも、お構いなし。
拳で、ドンドンドン。

まるで、根競べのようだ。
電車にはりついたままだし、ドアも頑として開かない。
強い口調のアナウンスが繰り返された。
やっと、男性は電車から離れた。

体裁が悪かったのだろう。
先に乗り込んだ男の人達は、平静を装っている。そして座った途端に

「何だ、この匂いはー」
粗暴な感じの人達ではない。
どちらかというと、自営業の若旦那風の人達。
その人達が大きな声で言い放った。

私は、目の前に座った男の人達から逃れたくなった。
立ち上がると、隣の車両に移動した。
こちらの車両は、混んでいる。

つり革を握った。
すぐに複雑な気持ちが襲ってきた。

『移動してきた本当の理由は違うでしょ』
もう一人の自分の声がする。

あれはずいぶん前のことで、いつのことだった....か。
ホームレスのおじいさんの前に箱が置かれていた。
一旦、通り過ぎた私は戻って、箱の中に気持ちを入れた。
でも、そのあとすぐに一緒にいた人に、ものすごく咎められた。
そういう事をするから、働かなくなるのだ.....と。

確かに昔も今も、そういう人も中にはいるだろう。
でも、最近は...?
ずいぶんと世の中の仕組みが以前と変わった。
ある日突然、仕事をしていた人だって、突然にホームレスにならざるおえない現実は珍しくない。

そんなことを口にしたって、いざ現実になるとホームレスの人がそばにいると、逃げるように離れる自分がいる。
何処か、矛盾している自分。

寒いから暖をとるために、電車の中で...という人もいるに違いない。
生活は昔より何倍も向上しているはずなのだから、そういう人を増やさない世の中になってほしい。

『迷惑の 格差の違い ありません』
(世の中には特権を振りかざし、傲慢な人がたくさんいます。)

ayame1999 at 02:25|Permalinkこの記事をクリップ!あれやこれや 

2011年12月12日

お弁当と「今」のお月様

「もなかのマンドリン&あれやこれや」
土曜日の朝9時を過ぎると、我が家から近くの小学校に向かった。

近所にあるグループホームでマンドリン合奏をすることになっている。
伺う前に、練習が必要。
生涯教育の場所として市民に解放されている小学校の教室で集合することになっていた。

一時間半ほど合奏すると、徒歩12、3分で着いてしまう場所だけど、数台の車に乗って施設に向かった。

今回は場所が狭いということで、近所のメンバーを主とし、少ない人数での演奏。
何だか、心細かった。
それでも、
「弾きたい、弾きたい」
という最近自分でも驚いている衝動の、深夜のハンカチ練習が役に立ったようた。
いつもより演奏が出来た気がしている。
(気のせいもあるかも..)

グループホームというのは大きな老人施設の縮小版のよう。
民家の立ち並ぶ一角にあり、外見は普通の家。
施設には見えない。
これからは、こういうホームという名の施設が増えていくのだろう。

演奏を終えると再び小学校に戻って来た。

「わー、豪華!」
足の短い長机に座布団を敷き、顔を見合せながら座っていた私達。
グループホームで頂いてきたお弁当の蓋を取ると、歓声があがった。

「ここの仕出し屋さんはとても評判がいいお店なのよ」
割り箸袋に書かれているお店の名前を仲間の女性が読みあげた。

「美味しいわね!」
お腹がすいていた私は、豪華な懐石料理のようなお弁当にぱくつく。
いろいろな場所で弾く機会を頂いている中で、貴重な体験をさせて頂いているのに、

『こんな美味しいお昼をご馳走になっていいのだろうか...』
ふと、そんな事を思ってしまう。

そうそう、貴重な体験といえば、演奏が終えた夜のことだ。
我が家の電話が鳴った。

「ちょっと、何してるの。外に出てらっしゃいよ。めったに見れないお月さまを見なさいよ!」
近所のまん丸奥さんからだった。

私は皆既月食の月を観ようと、何度もベランダに出て見上げていたけれど、11時過ぎてからは窓を開けていなかった。
あわてて、外に出る。

『なんて神秘的なんだろう』
高く高くぽっかり浮かんでいる月は、私の目には円ではなく球体に見えた。

時々薄い雲が通り過ぎるけれど、とてもよく見える。
鈍い色。
自分が宇宙ステーションにいて、輝く星の間に浮かぶ、球体としての月を眺めているようだった。

『よかった、電話くれてありがとうね』
時々窓を開けていたことは云わなかった。
現実に一番大切な時間には、忘れていたのだから...。

11時25分くらいから、玄関の前でお喋りしながら何度も空を見上げた。
温かい恰好をしていても、30分近く外にいると寒い。
そして、
「あー、痛い、首が痛いよ〜」
重い頭を支えてる首の根っこが悲鳴をあげた。

「それじゃ、そろそろ..おやすみ」
それぞれ家の中に入った。

寝る前の2時過ぎ。
私は最後の月を見上げる。
すでにいつもの輝く満月になっていた。
宇宙を感じた時間。
あの時のお月さまは、振り返って思い出しても神秘的だった。

忙しさや雑多な事で目の前の大切な一瞬を見失ったり、見なかったりすることが多い。
「今」を見つめられる一瞬。
ありがたい。
まん丸奥さんのおかげで見逃さずに済んだ。

さてさて、翌日はフラメンコ教室のちょっと早い「忘年会」
今年は、忘れたい年、そして、忘れてはいけない年。
久し振りにビール紹興酒をぐいぐい。
乾杯出来たことに感謝。

『お月様 見惚れて我の 首悲鳴   』



ayame1999 at 23:42|Permalinkこの記事をクリップ!マンドリン | あれやこれや

2011年12月09日

深夜のハンカチ。

「もなかのマンドリン&あれやこれや」

私にとって、遅すぎた春がやってきている。

普通に日常の習慣のように続けてきたマンドリン。
一応はそれなりに頑張ってきたつもりでいる。
でも、何かが私には欠けていた。

何か?とは..。
幾つかある。
例えばフラメンコほど情熱を傾けていないことも一つ。

でも、面白いものだ。
今まで何十年と合奏し、その習慣は空気のようだったのに、最近の私は、マンドリンを抱える時間が愛しい時間になってしまった。

何度か書いている津軽三味線奏者の上妻宏光さんの演奏を聴きに行ってから変わってしまったのだ。

「弾きたいよ..」
「弾きたくて、弾きたくてたまらないよ..」
でも、なかなか時間が取れない。
(消音具)
P1000362私は家族が寝静まるのを見届け、時計を見上げる。
だいたいの日が11時を過ぎている。
リビングの扉をぴたりと閉める。

譜面台を設置し、照明の角度を確認し、ハンカチが弦の間に挟まれたままになっているマンドリンを抱える。
以前は消音の器具を挟んでいたけれど、ハンカチの方が音を消してくれる
から重宝。(楽器を弾く人なら、あたり前のことかもしれないけれど...)
気がつくと一時間近く。P1000361   
「もう、このへんにしておこう」
本当は、もっともっと弾いていたいのに、無理やりにケースに収める。
そして、今度はギターケースのチャックを開ける。

こちらは、最近気に入っている昔のフォークソングの弾き語りを、毎回、同じ曲だけを二、三度だけ繰り返して、終える。
ギターは不器用だけど、楽しいのだ。

今の私には優先して覚えなくてはいけないことが他にあるけれど、全ての時間を費やしているわけではないのだから...自分で、
「良し!」
と決めた。
どんなに細い糸のように頼りなくても....、
どんなに歩幅が狭い進み方でも....、
続けてきてよかったと思っている。

それは長い長い冬眠から目が覚めた気がしているから。
深夜のハンカチが待ち遠しい自分になれたからだ。

『ハンカチは 涙をぬぐい 音も消し』


ayame1999 at 19:59|Permalinkこの記事をクリップ!マンドリン | あれやこれや

2011年12月04日

蒲田行進曲...。

       「もなかのマンドリン&あれやこれや」
師走に入って、やっと急に寒くなった気がしている。

さて、先週の日曜日27日の事で過去のことだけど、書き留めておきたいな。

「100回を数えますので、ぜひに....」
いつも近所のマンドリンクラブで一緒のギターの人から案内をもらう。

仕事をまだ続け、私達のクラブにも長年在籍しながら、なお且つ....。
『いったい、いつ練習しているんだろう』

会場は蒲田のアプリコ大ホール。
中央大学のマンドリンクラブ100回公演、正確にいえば101回目の定期演奏会。画像 006
70年の間、一年間に二度の時もあり、歴史あるクラブとのこと。
現役学生とOB、OG、総勢100人程が一緒に演奏するスケールの大きな舞台だった。

どの曲も聴きごたえがある。
中でも特に感慨深かった曲は「細川ガラシャ」
私は、戦国時代の小説を読んだ時、特別な感情をガラシャ夫人に抱いた。
その人物を題材とする曲だったし、以前、自分達も演奏したことがある曲なので、思い入れがあった。

穏やかな時期や、苦悩する時期、そして、激しい炎に包まれ命を絶つ時の情景が浮かびあがってくる。
とても素晴らしい曲だ。

そして、最後は、長谷雄卿絵巻物語「朱雀門」。
今年の2月に私もやらせて頂いた「白い馬」と同じく、こちらも物語でナレーター入りだった。
違うのは、本職の役者さんで、私には及びもつかないほどの演技力があるということ。
比べる必要はないけれど....、とても勉強になった。

今回のように長い間続けてきた人達の演奏会に足を運ぶと、つくづく思うことがある。

特に、男性の場合に。

必死に働き、その中で続けることはに並大抵のことではない。
中断し、再開した人も多いだろう。
映画の「釣りバカ..」の浜ちゃんのようには行かないのが現実なのだから。

もっとも、女性だって重要な仕事をこなしている人がたくさんいる。
でも、好きな趣味を続けられる環境は、女性より、男性の方が縛られているように私には思える。

だから、「細川ガラシャ」の曲に感じるように、舞台の上で演奏している姿を観ながらドラマを感じてしまう。

終わって出口に向かう時、あちらこちらで声が聞こえた。
「おー、久しぶり」
「よぉー」
年代的に、
「おじさん」
「おじいさん」
世代の人達。

明らかに、観客だけで来たのではなく、OBの人達と判る。
出演しなかった人達も含め、大がかりな打ち上げがあるのだろうか。
集団で輪をつくり、どの顔も輝いていた。

私はキョロキョロしながら駅に向かう。
ぎりぎりになって二階席に座っていた自分、マンドリンクラブの仲間も応援にきっと来ているはず。

知らない町の蒲田の空気は新鮮だ。
歩いていて楽しい。
私の耳に、懐かしい曲が流れてきた。

何度か観たことがある昔の映画「蒲田行進曲」だった。

『何事も 百重ねるは 至難わざ』

ayame1999 at 02:08|Permalinkこの記事をクリップ!マンドリン | 心の寄り道