2006年05月16日

本番は一度だけ

終わった、終わった、十三日の土曜日。

八ヵ月半、振りを必死に覚えてきたフラメンコの発表会を終えた。

タンゴ デ マラガ、シギリージャ、ソレアの三曲。

今となっては安堵感と寂しさがいっぱい。

しかし舞台は魔物と油断しないようにしていたけど、シギリージャでは一箇所、とんでもない間違いをしてしまった。

数え切れないほどの練習をして、一度もミスをしたことがない箇所を。

悔しい、もう悔しくて悔しくて。

しょうがないね、今更じたばたしたって、潔く諦めよう。

嬉しかったことは、辛口の家人が

「素晴らしい、すごくレベルが上がっていてびっくりした。会場を後にする人たちが口々にすごい、すごかったわねえ、と言っていたぞ」

と褒めてくれたことだ。

家人の横に座った私の友達は、真剣に、必死に踊っている私の姿に涙まで浮かべていたというのだ。

私は腕組みして口を尖らせた。

「あのさーそれは大げさじゃないの、いくら普段はぼーとしている私だって、舞台では..........」

とにかく、カンテ、ギターの素晴らしさはともかく、パルマで応援してくれた先生方の気迫には圧倒された。

打ち上げ会で先生の掌を酔った勢いで触ってしまったのだが、かたくなり、切れて血が滲んでいた。

ああ、こんなにも........。

感謝、感謝。

言葉や文字で表せないほどの大きな宝をもらった。

「どうか、来年もこの幸せ感を味わえますように」

 



ayame1999 at 00:58|Permalinkフラメンコ 

2006年05月10日

薄くしてうがいを

月曜日の夜の部。
時間調整をしてからカンテの教室に向かった。

「あれえ。どうしたの?」
時間の調整をして行ったつもりだったが、ほとんどの生徒がすでに来ていて、私が大きなカバンを引きずってきたので驚いている。旅行でも行っていてその帰りと思ったようだ。

「きょうは踊りの音あわせがあったので...」
と私は言った。

が、言ったつもりだ、になってしまっている。ほとんど声が出ていなかった。

「なんや、その声は..」
先生にどやされた。

私には原因がわかっていた。
数日前に高熱を出し、その後、日頃鍛えている為か翌日にはけろっと直って、予防のために、うがい薬で何回もうがいをくりかえしていた。
そして馬鹿な私は、濃いほうがきく気がして何倍も薄めなくてはいけないのに、ものすごく濃くしてうがいをくりかえした。
焼け付く痛みを覚えた。
それでも繰り返した。
その事を正直に話した。

「アホ、喉が潰れて、声が出なくなってしまうぞっ、きょうは無理せんでいい。唄わんでいい。」
「いえ、唄います」
聞き分けないのない私は、お腹から精一杯声をだした。
そして、休まないでよかったと思った。
きびしい先生がいつもより、優しかったからだ。



ayame1999 at 15:03|Permalinkカンテ 

声がでない。

月曜日、昼はフラメンコ発表会の音あわせ、夜はカンテ教室に行く。

昼の編。

バイレは衣装を全部必要だったので、三つのカバンを抱え、フウフウ。

汗だくになりながらの音合わせは、久しぶりの超、超、緊張状態だったが、カンテがついたりギターがあると、緊張感を通り越し、夢遊病者みたいになっていた。

言葉の選択がまずいなあ。

我を忘れてバックと一体感になっていた、の方がふさわしい。

出来ばえは別として。

音あわせを終えてから、先生が再び群舞をみてくれた。そして

「なんだ、さっきはおかしいと思ったところが幾つかあったんだけど、今、やってみたら出来ているじゃないか」

と先生の言葉。

後ろからみていて、たくさん注意したいところがあったに違いない。逆に、こう言われると、しっかり踊らなければ、と申し訳ない気持ちになってしまった。

下北沢まで足をのばし昼食を数人でとる。

お喋りに花が咲いたが、のどの調子が悪い私は聞き役に徹する。

毎年フラメンコの発表会が近づくと適当な大きさのカバンがなく苦労する。今年こそ、大き目のキャスター付のカバンを購入しよう、今日がいいチャンスとおもった。

しかし、いざ探すとカバン店がなかなか見つからない。

抱えている荷物がずしりと腕や肩にくいこみ何回も足を止める。

こんなにお店があるのに、どうして.......

踏み切りを渡り、反対側の商店街へ向かう。

もう痛いよー、と泣きべそをかいたときに

「あったー」

思わず私は店に入るなり、店主の老夫婦に、

「やっとみつかりました、ほんとに助かりました」

と頭を下げてしまい、探し回った時の様子を話してしまった。

(しかし、その声はかすれている。)

店主は親切に私を椅子に座らせると、荷物を新しいカバンに移してくれた。

二人で、荷物を縦にしたり横にしたり収まりやすく工夫してくれている。

「すいませんねえ、ありがとうございます」

などと私はいい、

「その小さなバッグは入れないでいいです」

などとすっかりお任せ状態。

でも、いずれの声もやっと聞き取れる声。

老夫婦は親切にしてくれたうえ、

「気をつけてね」

と見送ってくれた。

なんだか、一瞬、田舎に帰省した娘のような錯覚を覚えた。

私は商店街を再び歩きながら、

「あーあーあー」

と発声練習のように声を出してみた。

よほと゛力を入れなければ声は出てこなかった。

 



ayame1999 at 14:41|Permalinkフラメンコ 

2006年05月06日

ゴールデンウイークかな?

フラメンコの発表会に向けて、挨拶の練習やら何かとせわしい日々。

世間では、この時期になると、高速道路の渋滞状況や新幹線や飛行機の乗客数のことで賑やかになる。

近所の奥さんも二泊で那須に行っていて、帰宅早々お土産を届けてくれた。

「いいなあ、奥さんは毎年この時期に行くわよね」

羨ましげに言うと

「○○さんだって一日ぐらいレッスン休んで、行ってくればいいのよ..」

と、言われてしまった。

ううーん、その通りだなあ。

でも、気持ちに余裕がない証拠、休めない。

さあ、音あわせに向けて気を引き締めなければ......。

 

 



ayame1999 at 01:15|Permalinkあれやこれや 

2006年04月29日

結婚式

知人の結婚式出席のため、丸の内へ。

年上の私なのに、新婦にすっかりお世話になっている。

28歳同士のカップル。

長い間付き合っていたのを知っているので、心の底から嬉しく、目頭が熱くなった。

今時めずらしいくらい純朴で素直で、自然体の新婦。

着物の花嫁さん姿も、可憐なドレス姿も似合っていた。

私にもこんなに初々しい時期があったのだろうか。

余興が少ないのでぜひフラメンコを、とのことで、ガロティンを踊る。

昔、昔に踊った曲。

時々老人ホームで頼まれたときに踊る定番だ。

まったくフラメンコを観るのは初めて、という人が多いときいていたので、なるべくフラメンコらしい衣装をと思い、マントンを巻いた衣装にする。

お酒が入っているのに皆、真剣に観てくれているのが踊りながらも伝わってくる。嬉しい反面緊張した。

無事に踊り終えたあと、お色直しで新婦が席を外すと、新郎新婦どちらかの親戚の子供だろう、二人の男の子が舞台の上に上がり、ステップを踏みだした。

親御さんにすぐに席に連れ戻されてしまったが、音が出ないよ、と訴えている。

私の真似をしていたのだ、微笑ましい光景だった。

フラメンコの発表会の寸前でまったく余裕がない状態での披露。

だからといって新婦に恥をかかせるわけにはいかない。

この10日間ほど、毎日寝る前に寝室の板の間でスリッパで踊り、振りを確認してきた。

これで一つ行事は終えたことになり、

「ホ.ッ......」

今年は発表会寸前にやらなければならないことが多すぎ。

しかしほとんどレッスン日や音合わせの日に重なっていない。

これって、私にとっては奇跡。

いやいや運が良かったんだわ......。

 

 

 



ayame1999 at 23:02|Permalinkあれやこれや 

刻々と近づいて

フラメンコ発表会のフィナーレの練習が始まった。

セビジャーナス組みとブレリア組みと二種類。

私はブレリア。

集中して覚えなければと自分に渇を入れる。

衣装が配られたり、アクセサリーの準備が進んでくると、いよいよだという感じ。

去年、私は髪に付ける花を担当したが、今年はまかせっきりでお世話になるばかりだ。

「ありがとうございます、お忙しいのにお願いしまして」

バレッタを探してくれていた中級クラスの年配の仲間に更衣室で礼を言った。すると

「あなたの大変だった去年の気持ちが、今回すごくわかったわよ」

と私の肩を叩いた。

その言葉で私は忘れていたことを思い出した。

去年、私は指定された色の花を探し、あちらこちら歩きまわったがなかなか見つからず途方にくれた。

家の者にも協力してもらい車を走らせ店をはしごした。

まるまる一週間探し続け、もう駄目だ、と諦めたときに、なんとかそれらしき色が見つかった。

皆に配り終えた時は、責任が果たせたことに安堵感でいっぱいになった。

その当日の夜だった。

仲間の一人から電話が入った。

衣装の色と合わないのではないかという意見が数人から出たので、他の色に変えることと、もう手配はしてあるという報告だった。

私は口では優等生のような返事をして、静かに受話器を置いた。

電話のやりとりをそばで聞いていた家人が何を思ったか

「少しでもいい舞台にしようと思っているから変更になったんだろう?」

 と、ぽつりと言った。

私はこの言葉で、我に返った。そして、救われた。

電話の主も同じことを言っていた。が、家人から指摘されると、本当にそうなんだ、と素直に聴く耳になれた。

この言葉がなかったら、私は自分の事しか考えない傲慢な人間になっていたかもしれない。

去年のことを思い出させてくれたこの仲間の人が

「同じ形がなかなかなくてねえ、二種類ぐらいになっても、かまわないかしらね?」

と問いかけてきた。

「大丈夫ですよ、色がだいたい似ていれば」

私の返事に、ふっくら顔の品の良い顔が、いっそう素敵な笑顔になった。

群舞は皆の力と労力、協調性が一体となり、それが何倍にも膨れ上がって踊りに跳ね返ってくる。

今年は去年よりいい踊りをしなければ..........。

そして来年は、今年より.......。

 



ayame1999 at 01:11|Permalinkフラメンコ 

2006年04月21日

スペインの舞台を我が家で

私がフラメンコを習っている教室のスペイン公演のDVDを観る。

昔、宝塚の舞台を観た後、同じものをテレビで放映されたものを観たことがある。

「あんなじゃなかったよー」

生とは比べられないほど、迫力に欠けてがっかりした。

だから今回のDVDもその場の雰囲気も伝わってこないし、臨場感も感じられないのでは、と危惧していた。

が....。

すごい!。

スピード感、ハクリョクがすごく伝わってきてびっくり。

先生方や舞踊団の人たちの踊りに釘付けとなった。

私が個人レッスンで指導してもらっている先生などは髭まではやし、凛々しく男らしい。

普段のわりと柔軟な感じとは段違い。

まあ、こんな感想を言いたいのではなかった。

とにかく、映像でも驚かされたのだから、もしも再びスペインで公演することがあったなら、次回は行ってみたい。

あの劇場で踊ったのも一生の思い出に残るだろうが、応援に行く方もきっと忘れられない思い出になると思うもの。

 



ayame1999 at 23:13|Permalinkフラメンコ 

2006年04月19日

たくさん

「もなかの心の寄り道」

先週の金曜日、そして日曜日とたて続けに二つの舞台を観に行ってきた。

渋谷のオーチャードホールへはアイーダ ゴメス スペイン舞踊団のカルメンを。

そして日曜日はフラメンコ協会のイベントの舞台。

それぞれに良さがあり、また勉強させられた。

カルメンは十数年前にクリスチーヌオヨスが出演したものを観たことがあり、私は、どうしても、その時の場面が思い出されてしまい困惑した。

あのときはまだフラメンコの踊りをしていない時だったが、鮮烈に記憶に残っている。

今回はあの時のものとはまったく別物。

それぞれに違う良さがあって面白い。

フラメンコ協会の方は、演出、構成がよくフラメンコの歴史を観客にわかり易く教えてくれた。

日本において今日までフラメンコを広めた先生方やその教室の方々が決められた短い時間の中で奮闘していた。

日本のフラメンコの歴史がギュッと詰まっていて中身が濃い舞台で、私にとってはあっという間の時間だった。

正直なところ、スペイン本場の舞台より、日曜日に観た舞台の方が楽しめた。

私が習っている教室の先生方や舞踊団の方々が出演していたからなのだろうか。

ううーん。

違うなあ、何かを与えられた気がする。

何かとは......。

たくさんありすぎる。

 

 



ayame1999 at 23:55|Permalink心の寄り道 

2006年04月16日

パルマで拍手。

「もなかの心の寄り道」

12日の水曜日は山梨までゴルフコンペだった。

7年続いている仲間の大会だ。

フラメンコの年上の仲間から

「発表会を控えているんだから、あなた、ほどほどにしなさいよ、怪我でもして出れなくなったらどうするのっ」

とお説教されてしまった。

が、仕事関係のコンペは仕方なく嫌々だが、この仲間とのプレーはワクワクして待っている。それでもすっかりフラメンコに時間をとられ、数回に一度の割合でしか参加出来ず、年に3.4回がせいぜい。

思い切って今回は承諾した。

前日の夜から洪水、雷注意報が出るほど強い雨が降り、カッパを着て回ることを覚悟していたが、思いがけず、現地に着くと雨は止み、途中暑くなるほどだった。

無事に終了し、打ち上げとなった。

優勝者は私の隣に座っていた果物の卸問屋のご主人だった。

「きょうはお仕事の都合で参加出来ませんでしたが、○○先生から賞品を寄贈してくださいましたので、優勝者にはそれも差し上げたいと思います」

周囲から喚声の声があがる。

司会者から名前が出た先生とはテレサテンや五木ひろし、堀内孝雄等ヒット曲を数多く出している作詞家の方のことだ。

メンバーに○木氏の友人がいるため、その関係で毎回時間があるときは参加してくれている。

業界では大変な地位の方だろうが、いっさい目立たず静かに、穏やかに、つつましく、そして包容力を持つ眼差しで私達に接してくれ、打ち上げの居酒屋にも参加する。

誰もサインしてほしいとか、一緒に写真を撮ってほしいなどと言う人はいないから、くつろげていいのかもしれない。

「私は以前からこの作詞家の方を通して、派手な業界にいる人でも、こういう謙虚な人もいるんだ、本当に素晴らしい人というのは自分をひけらかさないものなのか、ということを思い知らされていた。

メンバーの中には男性がほとんどなのだが、中には見栄を張ったり自分の肩書きをわざと出したりする人もいるから、よけいにそう思ってしまったのだろう。

「きょうは思いがけず、天気も回復し、メンバーに恵まれたおかげ優勝できました。ありがとうごさいました」

歳のわりには童顔の果物問屋のご主人が、照れくさそうに頭をさすり、賞品を大事に抱えながら挨拶した。

私は日頃フラメンコで鍛えたパルマの出番とばかりに、盛大な拍手を送った。

このご主人が朝早くから仕事を続けてきて、やっと楽しむ時間も作れるようになったこと。

 練習場に行く代金を節約するため、座布団を三枚壁に立て置き、それに向けてボールを軽く打ち、アプローチの練習を重ねてきたこと。

素振りを家の中でして照明を割ってしまったり、襖に穴をあけてしまい奥さんから大目玉をくらった話などを聴いていたため、心から祝福した。

ご主人はそんな努力をしてきたことなど、いっさい口にしない。

「奥さん、きっと喜びますよ」

席に戻ってきたご主人に声をかけると、恥ずかしそうに笑い顔をつくっている。

私のモットー

「努力をする人にはかなわない」

という言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡ったと思いきや、翌日のフラメンコのレッスンのことが浮かんできた。

私も努力は人に負けないくらいしなければ....。

 



ayame1999 at 01:28|Permalink心の寄り道 

2006年04月07日

この時だからこそ3

五日はフラメンコの個人レッスン、そして翌日はクラスレッスン。

発表会を控え、クラスの群舞を確実なものに仕上げなければいけないと焦っている自分がいる。

去年は本番まで飽きるほど踊り、気持ち的に余裕があった。

しかし今年は難しい曲だし、自信がなく不安がある。

他の生徒さんは群舞の踊りを確実なものする目的で、発表会で踊る曲の個人レッスンを受けている人が何人かいる。                                   

それに引きかえ私は不安だらけと言いつつも、相変わらずプライベートの曲の個人レッスンをお願いしている。

いったい君は何を考えているんだ、と先生に呆れかえられていないだろうか

と、ふと考えてしまった。

そんな境地の中での個人レッスンだった。

「こらこら、ヒラヒラさせた、その手はなんだい?」

「ぶつぶつ切れて、踊りに流れがないよ」

「あっ、また忘れてる、足が内股になっているよ」

「ううーん、ぜんぜんタコンが聴こえない」

注意をしてくれるたびに先生は私の真似をしたり、見本を示してくれたりと、

口と体が動きっぱなしだ。

その姿に接しているうちに、

この時期に.....

という気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまった。

注意される一つ一つが、群舞で踊る振り付けに繋がっている。          

大切なことを再確認できた。

発表会が近づいているから....、と考える必要などない。

むしろこの時期だからこそ、個人レッスンの時間は貴重になるということがわかった。

そうと判った今、ますます気合を入れて

「ファイト!」

 



ayame1999 at 21:11|Permalinkフラメンコ 

2006年04月01日

お赤飯がやっきた。

昨夜、深夜まで書類がきの為、机に座り続けた。

そして、朝、いつものように起きたあと、雑用を済ませると、事務所にいた家人が

また今日もフラメンコレッスンあるんだろうが、何時からか、と効いて来た。

「夜だけ」

「だったら、疲れているんだろうから、たまには寝ていればいいのに」

なんて優しいことを言うのだろうと感激。

でも、待て待て、この甘い言葉を信用して手を抜くと、あとでしっぺがえしがくるのだと警戒する。でも、せっかく言ってくれたんだもの、それにめったにあることでもないし。

「それじゃ、ちょっとだけ横になるわ」

素直に従うことにした。

寝室のカーテンをぴったり閉め、花冷えなので電機あんかを入れて目を閉じた。

...........私は大好きなお赤飯を食べていた、一人で嬉しそうに口を動かしている。

ベッドの上の電話が鳴った。

あわてて起き、受話器を取ると、畳換えの勧誘だった。

ボーとした頭で何とか断り電話を切ると、なあんだお赤飯は夢だったんだと思いながら時計を見る。

「ウッソー」

四時になろうとしていた。

十時前にベッドに入ったのだから六時間もひたすら寝ていたことになる。

大変だ、五時過ぎにはレッスンに行かなければならないから早く夕食の支度を済まさなければ。

気まずくて家人と顔を合わせられず、そのまま二階のリビングに上がった。

たくさんのお赤飯とお惣菜がキッチンの上にのっている。

何と私がぐっすり寝ている時に、いつもおすそ分けしてくれる近所の人が、久しぶりにお赤飯をつくったからと、ほかのお惣菜と一緒に届けてくれたのだという。

私が夢の中で食べていたのは、その時の声が、うっすらと聞こえていて夢に現れたのだろうか。

というわけで、食事の支度もする必要がなくなり、ただレッスンに向かうだけとなった。

ううーん、何だか贅沢しすぎて怖い。

幸いなことに家人の雷も落ちず、気持ちよくレッスンに行くために家を出てこれた。

というより、情けで、ゆっくり寝せてくれたに違いない。

感謝、かんしゃ。

 



ayame1999 at 00:45|Permalinkあれやこれや 

2006年03月30日

力をぬいて

昨日は二週間ぶりのフラメンコの個人レッスン。

体を左側に向けた状態で、右手をゆっくりと大きく上げてくる、そして頭の上で柔らかくクルリと回し、下ろしてくる。

簡単な動き。

だが単純なことほど難しい。

鏡に映る私の手は、力が入り機械仕掛けの人形みたいだ。

先生が見本を見せてくれる。

毎度のことながら、ショック。

ほんの少しでもいいから、その動きをもらいたいよ。

涙の代わりに、鼻炎の鼻がクシュクシュと出てきた。

何回も、その箇所を説明してくれる。

「はい、判りました」

返事をしたが、出来ない...。

今度は一緒に横に並び、同じ動きをしてくれる。

違いは判ったが、まだ出来ない....。

私の動きを再度真似してくれる。

オヤ、......見えた

判ったというより、やっと見えてきた、そして気がついた、という思いがした。

いつかは得意げに出来るようになることを夢見て

ファイト!

 

 

 

 

 

 

 



ayame1999 at 15:24|Permalinkフラメンコ 

2006年03月29日

我慢

浜松行きたかったよー、クシュン。

日曜日は11時から、間に一時間お弁当昼食時間をとり、5時までマンドリンの合奏の練習。

五月に演奏会、六月は市から依頼された演奏会と続き二つも控えているから、皆、躍起になっていて、トレモロで弾くか、ピッキングで弾くかなど、細かく再確認しながら演奏していく。

この練習はフラメンコのレッスンとよく似ている。

演奏は音の強弱やテンポを変えたり、同じ音符の長さでも微妙に違ってくる。

フラメンコの踊りもアクセントが何処にくるか、或いは徐々にスピードをあげていくとか、まさに踊りは演奏することと同じ。

しかし、残念だった。この日曜日の練習をサボって観に行きたかったフラメンコの舞台、....浜松のあたりと聞いていた。

行けた人はいいなあぁぁぁぁぁぁぁあぁ。

でも、しょうがない。

私は踊ること、唄うこと、楽器を演奏することをやめられないのだから。

全部重なったら、

「フラメンコのレッスンがあるので、ごめんなさい」

と、当然フラメンコを優先するけど、たまには我慢しなければバチがあたるかも。



ayame1999 at 01:10|Permalinkフラメンコ 

2006年03月25日

勘違い

土曜日のフラメンコのレッスン張り切って行った。

ガーン、誰もいないではないか。

いつも時間ぎりぎりに到着するのに、よりによって早めに家を出、余裕ありきで到着したのに。

ああ、情けなや。

自分のホッペをビシッ、バシッと叩いた。

そうだったのだ、先生方は遠方で公演があり先週と今回、続けて自習になっていた。時間も一時間遅く始まる。

先週は間違えなかったのに、今回はケロッと忘れ去っていた。

これは、行きたい行きたい、踊りたぁぁい、という気持ちが先立つから、こういう事になるのだと自分を慰める。

引き返し、時間つぶしにカフェ店へ入り新聞を読んでいた。

「おはよう」

ほどなくして同じクラスの人が入ってきた。

(やったネー。)

「あら、やっぱり時間、勘違いしてしまったの?」

私は満面笑顔で彼女を迎える。

「いいえ、バスがこの時間しかなくて、しかたなく」

途端に私は恥ずかしくなり、肩をつぼめた。

彼女と面と向かって話すのは初めてのことだった。

私は土曜日はレッスンが終わると即、急いで帰ってしまうために、クラスの人たちと話す機会はほとんどない。

だが、彼女は親しげに話しかけてきてくれる。

おかげで、私も気兼ねなく話せた。

勘違いしたせいで、思わぬ楽しい時間をすごせた。

途中もう一人加わり、レッスン場に再び向かう。

参加者11人、構成は無理なので半分ずつパルマと踊りとに分かれてやる。

何と、ここで私の勘違いが発覚した。

あぶない、危ない....、

強いアクセントのあるゴルベのところをプランタになっていると指摘してくれる。

ああ、よかった、大事な箇所だ。

少人数だから判ったのだ。

二つも勘違いしていたけど、来たかいがあった。

 

 

 

 



ayame1999 at 11:57|Permalinkフラメンコ 

2006年03月23日

強くなりたーい。

王監督率いるジャパン野球、世界制覇。

日曜日の午後福岡にいたとき、あちらこちらで、外のテレビの前で、野球を観戦している人々を見かけた。

翌日、アウトコースの9ホールを終え、やれやれと昼食のテーブルに着くと、四方のテーブルから野球の話題が聴こえてきた。博多弁でもりあがっていた。

後で考えると、王監督が率いるチームのお膝もとだったんだもの、熱の入れようが違うはずだ。

しかし、あのときは日曜日の試合を勝利し喜々としていたが、まさか、優秀するとまでは思っていなかったんだろうなあ。

皆が頑張ったからだろうが、特にイチロウは素晴らしい。

あの人の口から出る言葉は何もかも書きとめたくなってしまう。

「屈辱」という言葉に他の国から誤解されたそうな。

でも、何も言い訳しなかった。

私ならきっと、誤解を解くことにやっきになると思う。

イチロウにあやかり、自分の意思を貫き通す人間になりたいよー。

そういえばフラメンコを踊る人は、強い人が多いと言われたことも思い出す。

自分のことはそう思えない。

強くなりたい....。

「それ以上、強くなったら、どうするんだっ!」

何処からか怒鳴る声が聞こえた気がする。

 

 

 

 

 

 



ayame1999 at 23:56|Permalinkあれやこれや