2006年08月18日
無銭飲食!
フラメンコのレッスンを終えてから、五人でレストランへ。
早く帰宅しようと思っていたが、まだお教室に入りたての方に、
「ご一緒によろしいですか?」
と問いかけられた。
「ええ、もちろんです。○○さんと帰りにご一緒するの初めてですものね、一緒に食事いたしましょう」
先に帰るなんて野暮なことは言う訳がない。
喜んで時折利用するレストランへ向かった。
○○さんとは横須賀ライブで一緒になり、それをきっかけにお話しする機会を得た。レッスンの時、そばで踊っていてもなかなかお話しするきっかけがなかった。ライブの日からは、急に前から親しかった仲間のような感じで接することが出来る。何だか不思議だった。
私はひと足先に店を出たいので、時間のかからないビーフカレーセットを注文。会話を楽しみながらも、忙しく食べ終えると運ばれてきたアイスコーヒーも流し込んだ。
「あ、美味しかった、それじゃ、お先に失礼するわね」
皆に挨拶をし、席を立つ。
ドアに向かうと壁一枚隔てた奥のテーブルにいたので気付かなかったが、同じクラスの生徒仲間が二人で食事をしていた。
二人に二言、三言声をかけた。
その間、店員さんが一瞬レジの前に立ったが、私は堂々と店を出てきた。
さてさて、電車に乗ってしまってから
「あれえ、大変ダー食事の代金を支払っていないヨー」
店にいた仲間にすぐに電話を入れるが何れの人も留守電になってしまう。
無銭飲食だ。
個人経営の、あのお店の人はいつも親切に手間を嫌がらず、一人ずつお会計をしてくれる。だから、あの時も、私が帰るのを察知して、一瞬、レジの前に立ったのだ。
それなのにー。
単に払うのを忘れてきたわけではなかった。
普段先払いのコーヒー店で軽食をとっているため、確信をもって
「ああ、もうお代は済んでいるんだわ」
との思い込みで、立ち去ったのだった。
だからよけいに、「恥ずかしい」
家に着くと、メールが届いた。
「心配しないでいいですよ。たまには私にご馳走させてくださいね」
一緒に食事していた普段お世話になっているおネイ様からだ。
内心、まったくあなたったらしょうがないわネー、と笑われる覚悟していたのに、ひと事もそんなことは書いてない。
私の馬鹿さかげんを、何だかフォローしてくれた気がする
本当に、私は恵まれている。
アリガタヤ、アリガタヤ。
2006年08月16日
ご先祖様、お許しを...。
お盆真っ只中、行ってきました、フラメンコのレッスンへ。
さすがに電車もすいていた。
といっても、小田急線は座れることなどほとんどないのだから、相変わらず、1時間ほどの車中は立ちっぱなしだが、それでもいつもと比べると快適。
昼間のレッスンが始まると
「きょうは少ないね」
と先生のお言葉。
巷では、何処もかしこもお盆休みだというのに、私は何処にも行く所がない。
いえいえ、本当は誰かさんと一緒にお墓参りに行かなければならないのだが、パスして、私はフラメンコ街道まっしぐら。
テニス狂いのこの誰かさん、若かりし頃に車で一時間ほどの公園墓地を取得してから、お墓参りが大好きで、休みの日など私が遅く起きると、
「ただいま、おはか参りにいってきた」
と張り切って報告し、驚かすことしばしばあるのだ。
私からみると、中に入っている親に手を合わせに行くのではなく、趣味としかいいようがない。
もっとも、私の分も足を運んでくれるので、ご先祖様もお盆にフラメンコを踊っていても、許してくれると思う。
盆踊り、というものもあるぐらいだし。
さて、レッスンは、バルマは表打ち、左右に腰を使いながらの足は裏打ち。
足だけの裏打ちは何とかなりそうだったけど、一緒にパルマの表を入れるのは難しい。
逆に、足が表でパルマが裏の方が楽だ。
うーん、次々と難題が押し寄せてくる。
練習しても練習しても、ちっとも追いつかない。
何だか、次に次にいろいろな事件が起って、法律が後手後手になって追いつかないのと似ている。
キャー、こんな発想しか出来ないから、私は駄目なんだわ・
信じよう。
いつかはきっと身体で感じられる日が、やってくることを。
2006年08月14日
ジャズの街へ
横須賀へ、ライブを観に行ってきた。
前半は音楽演奏だった。
パーカッションをふんだんに使って、耳で聴くだけでなく、目でも楽しませてくれた。
そして最後の曲の演奏になると、真っ白な衣装の女優さんみたいな踊り手が静かに登場。そして次に、男性と別の女性が登場する。筋書きのあるお芝居を演じているように踊りは展開していく。
三人は私がフラメンコの踊りの教室でお世話になっている諸先生方である。
たくさんの大きな舞台で踊ったり演じてきただけあって、体からほとばしる表現が抜群、
「かっこいいよー」
とひと声かけたくなるが、いえるわけがない。
二部は、カンテ(フラメンコの唄)とギターとバイレ(踊り)のみの舞台。
三人とも、その人だけにしか出せない個性を発揮した素晴らしい踊りで、曲の途中で拍手が鳴ってしまう。
私も思わず拍手。
「あれ、、出るじゃないの」
パルマの練習をしているとき、こんなに大きな音は出ないのに....。
一曲、一曲の中に、苦しみ、耐え忍んでいるやるせなさ、そして喜び等が全部ひっくるめられて入っている感じを受けた。
来たかいがあった。
アメリカ海軍の街、ジャズの街、スキゾチックな街に、興奮を残したまま電車に乗り込んだ。
とてもよかった、という感動した気持ちを舞台の上の人に判ってもらうためには、精いっぱいの拍手とハレオ、そして終了後に話す言葉で伝える方法しかない。
いい舞台を観るたびに思う。
もっと違う方法で感動したことを伝えることが出来たらいいのに..と。
「そうだ!今度、ジェスチャーでやってみようかなあ」
2006年08月12日
自分を聴かなければ..
午前中に一つだけフラメンコのクラスレッスンを受けてきた。
出ました。
やっぱりコントラが..。
でも、苦手な私にとってはありがたいこと。
足のコントラはひとまずおいといて、パルマの方は、正直なところ、私はこれまで、表しか打ってこなかったから、その咎めが今出てきている。
正確に出来ていないことを思い知らされるから、おかげで、よけいに、やらねばならぬ、という意気込みが出てきた。
帰宅するとテーブルの上に置きっぱなしにしておいたメトロノームを引き寄せ、パルマの裏打ちをしてみる。
それを録音してみた。
音が重っくるしく入っていて、「こんなんじゃ駄目だ」と首を左右に振ってしまう。
でも、確実にタカタカと交互に入っている箇所もあった。
気持ちいい音というのは、流れがある。
そういえば踊りも、個人レッスンの折は録音するけれど、まったく一人だけの音を録音したことはない。
今後機会があったら試してみよう。
まあそんなに自習することなどないのだけど。
さて、明日は、私が習っているスタジオの先生が、横須賀で踊る日。
カンテも知り合いだから(この表現は大変失礼だ。大先輩が正しい。)すこ゜く楽しみ。
きょうは帰宅途中、雷と、豪雨に見舞われ、駅前の道路は
「川の流れのように」なっていた。
明日も同じようになるかもしれない恐れがあるとのこと。
電車がとまってしまったら大変。
早めに出発したほうがいいかもしれないな。
2006年08月11日
メトロノームを置いて
昼食後、腰が上がらず、ダラダラ。
昨日のフラメンコレッスンのことを思い出し、こういうちょっとした時間に、パルマの練習をすればいいんだな、とメトロノームをテーブルの上に置く。
木曜日の昼のレッスンは、異なる二つの授業だった。
初級は、タンゴ。
けしてきれいに踊ることを目的にしてはいけないという注意を受ける。
アンダルシア地方の広場でちょっと踊っているような粋な感じで...。
そして次の時間は、コントラづくしの練習が続いた。
短いコントラの足の振り付け。
難しくない動きなのに、どうしても表になってしまう。後半は、パルマのコントラをやる。
先生は一人一人、表を打ってくれたが、足のコントラと同様、撃沈。
コントラのためにじっくり時間をかけてくれたこの時間は、とても貴重な時間だった。
タンゴのクラスもコントラづくしだったクラスも、先生は違っていたが、両先生とも目指していることは同じ。
身体で感じること....。
一時間目は、マノも各々が感じた形でいいからね、、きちんとそろえるときもあるけど、きょうはそれぞれでいいと言われ、二時間目のコントラの時も、やはりカウントするのではなく、身体で感じて、覚えやすいリズムを身体に染み込ませておくといいよ、...と注意をもらった。
情けないあり様の自分だったが、クラスの中にはコントラの足も、パルマもきちんと出来ている人もいた。
きっと努力を重ねてきたに違いない。
さて、テーブルの上に置いたメトロノームの速度を確実に裏が入れるようにゆっくりと設定する。
「イタイタイタ、ウチャウチャウチャ、タラリロリロ、ズタズタズタ、イット、ニット、サンと......」
さて、どの言葉が一番身体に染み込むだろうか。
2006年08月10日
充電しましょう。
フラメンコのレッスン、火曜日の夜と、今日の個人レッスン、両日ともコントラで四苦八苦する。
音符で表したらタタタ.........と(ウ)の箇所は足を打たずタの箇所を打つ裏どりといわれている打ち方。
これは一旦は出来るようになったと安心した時もあったのだが、喜びもつかの間だったようだ。
油断してはいけなかった.....。
きょうは録音するMDが充電不足で使えなかった。
だから、ちょっと不安。
しかし、クラスレッスンでは録音などしていないのだから、同じように集中してやればいいのだけど...。
さて、その録音のことだが、後から聴くと、驚かされることが多い。
ほんの数秒の動きが出来ず、先生は、数十回と同じ言葉を繰り返し、お見本も何回も踊ってくれている場面の音が長く続いているときがある。
その様子が音として、ありありと伝わってくる。
しかし、その場にいた時の自分は、3.4回しか注意されていないような気でいるのである。
そして、あとでイヤホンを両耳にあてると、唖然となる。
きょうは録音していなかったけど、いつものと同じだろう。
先生の喉を痛めさせてはならないのだ。
いい踊りにしていかなければ。
2006年08月06日
時間はある...はず。
スペイン語を踊り仲間の□□さんに、週に一度我が家に来てもらい、教えてもらっている。
生徒は私と踊り仲間の二人。
将来、それぞれが様々な方法で勉強していく為の、準備段階のつもりで文法をしっかり覚えてね、と言われた。
子供さんが夏休み、冬休み、と家にいるときは授業もお休みになるので、ゆっくりペースできたが、気がついてみると、もう二冊目のテキストに入っている。
もう二年は経った。
そうだ、夏休みの宿題もあったんだっけ....。
きょうは掃除に没頭したあと、たくさん時間があったのに....。
フラメンコの踊りをはじめてから、関連性のあるカンテとスペイン語を知りたいと思った。
けして上手には出来ないけれど、踊ったり唄ったり、楽器を演奏することは自然体に楽しく求めることが出来た。
だが、スペイン語は違っていた。
あまりにもトンチンカンナ答えを言うので、□□さんは毎回お腹を抱えて床に転げまわって笑っている。しかし
「でもずいぶん、相当、すすんできてますよ」
と勇気付けてくれる。
語学や数学が出来る人は本当に尊敬してしまう。
やっぱり脳の出来が違うのだろう。
遊ぶことだったら脳が全開になるんだけども...。
こんな私もいつまでも□□さんに甘えているわけにはいかない。
仕事の手伝いは火曜日の夕方に提携先の事務所に連絡に立ち寄ればいいが、普段は、すべて家事を終えた夜に集中的にパソコンに向かってやる。
だから、あまり勉強の時間はとっていなかった。
しかし、このブログを書いているんだもの、時間はあるのだ。
夏休みが終わったら、褒めてもらえるようになっていなければ...。
2006年08月05日
続編、昨日の続き。
東京駅まで見送りに行ってきた。
東北新幹線のホームは夏休みだけあって人であふれている。
そのまま私も何処かへ行きたかった。
フラメンコの仲間と靴を持参して合宿なんかしたらどうだろう。
楽しいだろうなあ。
さて、昨日の警察沙汰の、その後はいったどうなったのだろう。
近所の人も首をかしげるばかり。
交通事故を起こし被害者が拉致されたのか、救急車を呼ぶほどでもないから善意で車に乗せたのか、運転者と歩行者が喧嘩になって車に押し込まれたのか、何が何だが、さっぱり判らなかったのだ。
解決したことは、昨日の時点で一応は聞いたのだが....。
時折、役所の放送で、行方不明になっているお年寄りの特徴を言い、見かけた人は知らせてほしいとスピーカーで流されることがある。
我が家の地域では「ひばり放送」
ほとんどが数時間後に
「御協力ありがとうごさいました、無事に見つかりました」
と報告される。
会ったことなどない人でも、保護されたことが判るとほっとしたものだ。
昨日のことも同じ。
べつに詳しいことは言う必要はない。
昨日の時点で判っているのなら、
「先ほど、ご協力をお願いしたことは、解決致しました」
と、ひと言スピーカーで言えば皆も安心するのにと思った。
それで、警察と住民達が一体になれる気がした。
2006年08月04日
事件か?
夏の暑さも本番にはいったが、あいも変わらず、せっせと朝からフラメンコレッスンに行ってきた。
スタジオに入ってみると私が一番。
ドアが開いているからか、地下なのに、携帯のメールが届いた。
家族からだ。
朝のやるべき仕事をころっと忘れて、家を出てきてしまったので、お叱りのメール。
ここは素直に謝っておかなければ、今後に差し支える。
直接に電話して謝った。
覚悟していたが、怒りはそれほどでもなく、胸を撫で下ろす。
さて、昼のレッスンを終えると、きょうはまっすぐ帰ってきた。
左に曲がると我が家。
ところがその手前でパトカーが数台停まり、紐で通せんぼし、おまわりさんや、刑事さんがごちゃごちゃいるではないか。7.8名は確実にいる。
「まさか、まさかぁぁ」
うちの年長さんが(一番威張っている家族のこと).......。
「ど、ど、どうしたんですか、何があったんですかっ」
心臓が止まるほどドキドキしておまわりさんに尋ねた。
「まだ、よくわからんです」
もしもし、おまわりさん、などとのんびりと道を尋ねているわけではないのよ、と怒鳴りたくなった。
遠回りしてぐるりと回り、反対側から路地に入っていく。
乱暴にドアを開けると階下の仕事場に向かって
「ねえ、いるの?大丈夫なの、ねえったら」
と大きな声を出す。
年長さんの声が聞こえた。
無事に生きていた。
事の真相は、急ブレーキの音がした。近所の人が外に出てみると、女性が車に押し込まれているところで、車は走り去った。
血痕も残っていた。近所の人は警察に通報した。
しばらくするとミニパトカーが近所を回り
「○○ベーカリーの信号近くで、事故を目撃した人、或いはトラブルを目撃した人は警察に届けてください」
とスピーカーで流しはじめた。
遠くからもよくスピーカーの声は聞こえてきた。
はねられたのか、も定かではないようだ。
「何だか、コワイ。きょう夜のレッスン行くつもりだったけど、やめる」
踊っているばあいでは ないと思った。
いつもの習性で時間が空いていたので早めに夕食を作ってしまう。
その後どうなったか気がかりで外に出てみる。
おまわりさんが、通せんぼの紐を取り除いたり通行止めの置物を片付けているところだった。
結論を言えば、事件ではなかったことが判明。
詳しいことは、何も教えてくれなかった。
まさか、とは思うが、年長さんの言った
「あの血は人のじゃなくて、犬かもよ」
という言葉がひっかかっている。
とにかく、ころっと変わって夜のレッスンに行ってきました。
根性、根性、のタコン連発特訓レッスン。
これだけやれば、さすがに少しはタコンの音が出るようになった気がします。
平和だった一日に感謝。
2006年07月30日
心をいれかえて
今日は1時からマンドリン。
来年の二月に駒場エミナースで演奏会を開くので最近はその曲の練習に必死だ。
私は今回、司会をやるように言われているので、当日は弾かないだろう。
しかし、休むわけにはいかない。
最後までどうなるか判らないのだから、きちんと練習しとかなければ。
遠方から来る会員の人が多くいる中で私はおよそ100メートル先の練習場となっている公民館へと早めに家を出る。
しかし、すでに横浜から来ている男性と、車で30分かかる所から来た男性と入り口で出会う。
部屋に入ると世田谷、川崎市、千葉からと数人が到着する。
相模原市に来るのに朝、早く出てきた人もいる。
「おっどうしたんだ、こんな早く、きょうは、最後までいられるの?」
同じセカンドマンドリンの親分が、からかうように私に声をかける。
「何よ、いないほうがいいの?」
私は口をわざととんがらせて、つっかかる。
以前は30分前には来て、お湯をわかし、3時の休み時間の為に、準備を整えていた。
それが私の役目だった。
しかし、フラメンコに没頭するようになったここ数年、まったくしなくなっていた。
いつも皆のお膳立てにのっかっている。
フラメンコを観にいく舞台が練習日と重なることが多い。
夕方からの舞台が多いので、途中練習を抜け出す。
きょう久しぶりに見た場面、男性達が、机をどかし椅子を並べ、譜面台をセットしてくれる。
私は、ちょっと恥ずかしくなった。
たるんでいたわけだ。
いくらフラメンコが好きだからといっても月に二度しかない、練習。
皆「フラメンコ頑張ってね」と励ましてくれる人達ばかり。
そして、手を傷めていた時は、調子がいい時だけ弾いて、駄目なときは来るだけでいいじゃないの、と、ホロリとさせることを言ってくれた仲間達。
今は、元気になって飛び跳ねているんだもの。
甘えていてはいけない、次回からは、逆に皆を迎えよう。
2006年07月29日
玉葱と寒天
平塚に住む友人から久しぶりに連絡がある。
最近ご主人が野菜にこっているので、パソコンでそれぞれの効能をいろいろ調べてあげたとのこと。
ついでに私の為に、関節の痛みにきく野菜も調べたと知らせてくれた。
私が手の痺れで泣くほどの激痛で苦しんでいた二年前のことを知っているので、まだ完治していないと思っていたらしい。
「玉葱と寒天が痛みにとてもきくのよ、リューマチにもいいの」
私が最悪なときをを何とか脱したあとも、別の友人を交え、三人で数回会っているが、私がその後の良くなった経過を告げていなかった。
「有難う、試してみるからね」
せっかくだから、私は礼を言いそのほかに身体に良い組み合わせを聴く。
友達というのは、いくつになってもありがたいもの。
しかし、あの時の手の痛みはいったい何処に行ってしまったのだろう。
フラメンコの踊り、カラコレを踊るときに使うアバニコを持った時は泣きたかった。
帰りの電車の中で指が痛みで曲がらず、寝るときはビニール袋に入れた氷を握って寝た。
とても良い整形外科があると聴き遠方まで通ったが、直らず数ヶ月苦しんだ。
ところが、混んでいるので避けていた近所の国立病院に行き、専門の薬を飲みだすと、驚くほど回復に向かった。
そういえば足の痛みでひきずりながらレッスンに通ったことも思い出す。
こちらの方は単に靴が原因だったが、今つくづく思う。
様々な身体の困難を乗り越えると、普通に手が動くこと、腕が上がること、足を打てることがありがたくてならない。
約、八ヶ月間の間、ベッドに入ると、痛みがなく眠れますように、と願いながら目をつぶった日々。
普通に寝返りが出来た日は感謝した。
あの状態でなんで踊れたのだろう。
踊りたい、クラスレッスンや個人レッスンを絶対に休みたくない、と思うと、すごいパワーが出てきたのかもしれない。
「踊り続けていたから手も固まらなかったのかもしれませんね。フラメンコはリハビリになっていたのかもしれないですね」
と医師に言われた。
そう言われると、無茶かな、と思いながらも短縮せずに自分で決めたレッスンを受け続けてよかったと思う。
まあ、こんなに長い時間踊り続けていることなど、内緒にしていたが。
医師から、今後の研究のために生かせるようアンケートを取らせてほしいと依頼された。
相変わらず二ヶ月おきに通院しているが、もう薬もほとんどいらなくなった。
何も痛みを感ぜずに踊ることが、嬉しくて、楽しくてしかたがない。
「粉末寒天はね、ご飯を炊く時にいれたり、ジュースに少し入れて飲んでも身体にいいのよ」
友人の声が響く。
お盆にまた久しぶりに三人でお喋りの予定。。
楽しみだな。
2006年07月26日
2006年07月23日
後悔していること一つ。
「もなかの心の寄り道」
エルフラにフラメンコの踊りリサイタルを観にいってきた。
バックと一体になりとても素晴らしい舞台だった。
最後の挨拶に、親戚の幼子がぐずってご迷惑をおかけしました、という趣旨の内容の言葉もつけ加えられた。
明るい性格、飾らない言葉がますます、舞台をより良いものに印象づけた。
確かに数箇所ぐずった場面もあったが、母親が気をきかし子供と席をたったので、心配するほど気にはならなかった。
踊りが迫力満点だったので、言うことはない。
私には後悔していることが二つある。
この挨拶で、忘れていた遠い過去のことの一つを思い出してしまった。
一つはまだ四歳になったばかりの息子を連れて、知り合いのギターリサタルに出席した。
いくら「静かにしていなさい」と注意してもきかず、私は途中息子をトイレにつれていき、強くしかりつけ平手打ちをした。
「ピシャリ」
子供はしっかり口を結び、泣きたいのを堪えて私の顔を見ていた。
とっさに私は我に返った。
「ごめんね、ごめんね」
頬を撫でまわした。
何ということをしてしまったのだろうか、私でさえ難しくて耳を傾けているのが辛かったクラシックの長い曲。
それをピアノもバイォリンも習っていない幼子に、静かに聴いているよう命じた自分。
電車の中や、飛行機の中でおとなしくしていられなかった、というわけではない。
息子は何も悪いことなどしていない。
きょうの舞台での母親は、私とまったく違い幼子を抱きかかえて席を離れた。
その姿は、愛情があふれていた。
私も、あの時、もう少し優しさがあったら...。
今でも悔いている。
ただ救われているのは、成長したあとの叩かれた本人は、まったく覚えていないことである。
そして、小学生時代も、私がマンドリンを練習していると、言いたいことがあっても、けして邪魔せずにいてくれた。
だからますます、私には後悔の気持ちが強い。
もう一つの後悔はまだ書く勇気がない。
きょうは素敵な踊りを満喫し、そして過去のほろ苦い思い出がよみがえってきた一日だった。
2006年07月09日
フラはフラでも。
昼間のレッスンを終え、更衣室で着替え化粧していると
「きょうは、おデートですか?」
と先生に尋ねられた。
「はい、っ」
と応えたあと、冗談ですよ、と訂正する。
しかし私にとっては楽しいデートと同じ。
時折飲む機会のある仲間で、まるで異業種交流会のようなこの数名の仲間達。
マンドリンの仲間や、友人もそうだが、長くお付き合いが続いていると、日ごとに、益々大切な人達になっていく。
その中で私の正面に座った△△氏が、
「ほら、あの踊りやっていたんだよね...ほら..えっーと」
両手をヒラヒラとさせた。
私は答えない。
「そうそうフラダンス..」
また始まったと思った。
これまで同じ質問を何回されたことか。
名前が似ているから仕方ないと思ったこともあったが、せめて波に漂うしぐさはやめてほしい.。
某大手会社の社長を務めたこの方、本当に現役時代、仕事に差し支えなかったのかと心配するほど、同じ質問をしてくる。
でも、他の事は聡明なのだ、....。
「ぜひ観てみたいなあ、....フラ、フラ、....ええっと」
再び両手を左右に漂わせた。
「まったく失礼よね同じことばかり訊いて...フラメンコよ」
仲間の年配の女性が私の代わりに言ってくれた。
何だか悲しくなった。
ただ酔っ払っているのならいいが、そんなにお酒はまだ入っていない。
フラメンコとフラダンス、名前が似ているということだけでなく、結局はあまり普通の人には知られていない、ということ。
オレーなどと滑稽的に言われることはあるけれど。
最近テレビで社交ダンスを芸能人が踊るという番組で人気があるが、
フラメンコも一般にもっと馴染まれるよう努力しないといけないのでは、と考えさせられた。
今年も「フラメンコ曽根崎心中」の舞台がある。
私がレッスンを受けている教室が主催する舞台、そして個人レッスンで指導して頂いている先生も出演する。
日本人はこの異国の情熱的な踊りを活かして、こんなすごいことも出きるんだよ、ということを△△氏に観てもらいたいと思った。
それをきっかけにして、バリバリの踊りを観に足を運んでもらえたらいいな、と。
今年は遠慮しないで、お誘いしよう。
2006年05月28日
言い訳...
今週に入ってまたいつものフラメンコレッスンに戻った。
クラスレッスン火曜、木曜、土曜日、個人レッスンを水曜日と四日間もフラメンコ漬けに。
まことに至福の時。
後の時間は仕事や家事をフル回転でこなしたから、まあ、良しとしよう。
クラスレッスンでは
「もう一度基本をしっかりやります、特にマノがきれいに使えるようにしましょう」
と先生からのお言葉。
姿勢も腰のひねりも徹底的に直された。
そして足はアクセントを意識しながらプランタ、タコン、ゴルベの音をしっかりと出せるように、繰り返す。
以前より少しタコンが出てきた気がする?
同じことを言われ続け、何百回目に出来るときがやってくると信じている私。
こうして根気よく教えてもらえることはありがたいことだ。
さてさて、個人レッスンのほうは先生が言葉を発する前に
「すいません、発表会があったせいで.......」
ゼロではなく、マイナス状態になってしまった言い訳をする私。
次回またハチメチャ状態だったら、何と言い訳するか今から考えておかなければ....。