2007年08月

2007年08月12日

富士を見上げれば.....。守られて編。

「もなかのあれやこれや」

携帯電話の進歩は目覚しい発展をしている。ほんの数年前よりも電波も、充電器の寿命も、何もかもが著しく違っている。

無事に頂上に着く前から、私と娘さんとで交互に知人の別荘に携帯で電話を何度もかけていた。やっと繋がっても聞きとりにくく、相手には、苦労して登った、というくらいしか伝わっていなかったようだ。

登ってきた時とは別のルート。

見渡すかぎり何もない所を降りていく。まるで砂漠の上を歩いているように足がもつれる。

「お母さん、もっと早く歩けないの!しっかりしてよ、もなかさんはこんなに早く歩いているのに....。お母さんが早くしないからこんなに遅くなってしまったのよ。もなかさんはお母さんと同じくらいの歳なのよ!」

「これでも一生懸命歩いてるわよ」

娘さんの焦る気持ちは痛いほどよく判る。しかし、娘さんだって誰のせいでもないことは重々知っているのだ。

「だって私は普段からフラメンコで身体鍛えているんですもの、こんなときに発揮しなければ....」

私はおどけて言う。そして母親の○○さんの腕を取り自分の腕にからませて一緒に降りていく。転ぶときも一緒に何度も転んだ。

とっくに暗くなっていた。

暗い中をズブッ、ズブッと足を入れていく。何処が道なのか判らない。でも下っていることなのは確かだ。

やっと前に歩いている人達に追いつく。

家族連れだ。中学生くらいの男の子二人とご夫婦。奥さんは片方の足をひきずっている。

「すいません、私達、懐中電灯持っていないんです。ご一緒させてください、お願いします」

すがる思いだった。

父親は、息子さんの被っている電灯付きのヘルメットを私達に貸すように指示してくれる。

訊けば、奥さんの足が途中でおかしくなり遅くなってしまった。本当は泊まればいいのだが、明日どうしても仕事の都合で帰らなければならないので.....との事。

私達三人は、夜は泊まりがけでゆったりと登山をすることを知る。五、六時間で戻れるのを前提にしていたから念頭になかったのだ。

この家族から絶対に離れないように必死に歩き続ける。

それにしても、頂上で会った青年は二時間で降りられると言っていたが、いったい何時間経っているのだろう。とっくに二時間は過ぎていることは確かだ。

途中何度も携帯で電話をかけてみる。

私の携帯では駄目。娘さんの接続会社の方が繋がる率が多く、須走に降りるので迎えに来てほしい旨を、かろうじて伝えることが出来た。

私達と平行ではあるけれどものすごく離れた場所を登ってくる人を数人見る。明かりが頼りだが。しかし以前車の中から見たはずのあの懐中電灯の列ではない。

私達の目の前に明かりが近づいてきた。やっと話すことが出来る人と出会える。

「あとどのくらいで降りられますか?」

口々に同じ台詞をぶつける。

何と嬉しいことだろう。

もう少し行ったら右に行って、すぐに判りますよ、もう本当にもうすぐですよ、真っ直ぐいけば大丈夫、というような事を言った。

中学生の男子二人、もうこれ以上ゆっくり歩くのは耐えられなかったに違いない。

「それじゃ、先に下りて行って、待っているからね」

ご夫婦が応えないうちに、二人の息子さんは手に懐中電灯を持ち、どんどん先に進んで行ってしまう。あっという間の事だった。

『大丈夫かしら』

このまままっすぐに行けば間近、という言葉を聴いたばかり。もう心配ない。きっとご夫婦も私と同じ気持ちだったに違いない。心配を心の隅に追いやる。

私達もさらに足を速める。

しかしどうしたのだろう。

いつまでたっても待っているはずの息子さんたちと出会えない。

 

                            つづく



ayame1999 at 01:46|Permalinkあれやこれや 

2007年08月10日

富士を見上げれば....、牛歩編。

「もなかのあれやこれや」


はるか以前、遠くから夜の富士山を車の窓から眺めたことがある。
「あの光は何かしら?」

点々と頂上に向かってほのかな灯りが見えた。
「あれは夜に富士山に登る人の懐中電灯だよ」


教えてくれたのは年長さんだったか別の人だったか記憶がない。日本に生まれたのだから、私もいつかは登ってみたい、と心に誓ったのは、たぶんその時からだと思う。

一緒に登るはずだった男性が寸前でだめになったり、すぐ近くなのに車が渋滞していたりと遅れ、結局登りだしたのは朝8時ぐらいになってしまった。

知人の別荘の玄関で見送ってくれた人達が、5、6時間で頂上に着くと言っていた。ということは夕方には戻れるはずだ。

「順調にあたし達登ってますね。この分だと予定より早く下山できるかも」
上を見上げると最初の小屋が見える。それはそれは近くに見える。

でも、なかなか到着しなかった。

「ねえ、ちょっと休みませんか....」

だんだんと母親の○○さんと学生の娘さん、そして私とで、交互に休憩タイムを頻繁に要求しだした。1ッセンチずつしか足が前に出ていない気がした。

何人もの人が私達を追い越していく。息をきらして数秒立ち止まっているとき、腰の曲がった杖をついたおじいさんが私達を追い越していった。

六合目、新七合目と進んでいくが、間近に見える小屋がどれもとてつもなく遠く、心身とも疲れ果てた。

「もう駄目みたい...」


自分の体重が数時間で何倍にも膨れ上がった気がする。七合目だったか、八合目だったか、私達は小屋にたどりつくと、外の椅子にくずれるように腰掛けた。
三人ともへばりきっていた。

『もう限界かもしれない』

ここからが大変なんだと聞かされてきた。多くの人が途中で諦めている。同じく私達も下山するか、続行するか決めるときがきていると感じていた。一人でも脱落者がいたら諦めるつもりだ。

私の隣の人が立ち上がった。ふと横を見ると先ほどのおじいさんが別のおじいさんと喋っている。私はそばに、にじり寄る。

「お元気ですね、私達はもうヘトヘトです....」
「富士は辛いからねぇ、初登山かな?」

もうろうとした顔で私は頷く。                                   「そりゃ、大変だ。私達はね、毎年登っているんですよ。だから身体が慣れている。昔の.△△△△.........で一緒だった仲間でしてねえ、ずぅと続けて登っているんですよ.....」

おじいさんの身体は細くて今にも折れそうだ。

あの時、幼年学校の同期生と言ったろうか、或いは兵隊でと言っていたであろうか、記憶が曖昧だ。しかし、軍関係だったことは確かだ。とうに70才半ば以上に見えた。


「さあ、出発しよう。それじゃ、頑張ってくださいよ、ほかの仲間に追いつかなきゃならんのでね....」

おじいさんは、お先に失礼しますよ、と腰を伸ばすと拳でトントンと叩き、出発していった。そのあともう一人のおじいさんもあわてず悠々と立ち上がって行った。


きっとあの時、私達女三人とも同じ考えが頭を過ったに違いない。それぞれ喉元まで出掛かっていた言葉をのみ込み、私達も後を追うように出発した。

それからはひたすらひたすら、登り続けた。富士山を目指した皆が同じ思いをしたのだ、と自分にいいきかせながら足を引きずり前に出し続けた。

「キャー、ついた、着いた、着いたわよー」

ついに頂上にたどりつく。三人で互いに手を握り合う。そして私は心の中で

『やったよ、やったよ、本当にここは、あの遠くから見上げた富士山のてっぺんだよ、ついについにやったよ』

と叫んでいた。

しかし、喜びに浸っている時間はない。あんなにあふれるほど人がいっぱいいたのに、皆、何処に行ってしまったのだろうか。とても心細い。

頂上にいた青年に訊くと須走の方に下山すれば楽だし、2時間ぐらいで降りられると言う。私達はそちらに向かう。

「ねえ、急ごう、早く下山しなければ暗くなってしまうわ」


この時になって、私達は誰も懐中電灯を持っていないことに気付いた。


                                                                 つづく。



ayame1999 at 01:23|Permalinkあれやこれや 

2007年08月08日

富士を見上げれば...。 心躍る編

「もなかのあれやこれや」

フラメンコ教室の先輩のブログを読むと、フラメンコの山ということについて記してあった。

その瞬間『忘れたい箱』の中に閉じ込めておいた記憶が箱から飛び出してきた。

といっても、私の方は本当の山のことだ。

「富士山に登らぬ馬鹿に、二度登る馬鹿」という言葉がある。私は日本人に生まれたからには絶対に登ってみたい、と思い続けていたが、毎年空振りの夏をすごした。

ちょうど今頃だった5年前、......いや、まだ4年しか経っていないか...。やっと念願の機会が訪れた。

知人の御殿場から富士サファリのちょっと上にある十里木別荘を訪れた。そこは私の知人と年長さんの友人が偶然二人も所有していたことで、頻繁に訪れていた場所。今回は私が関係する知人の山の家を訪れたところから始る。

私の願いを叶えてくれようとしたのだろう。山が好きだという知人の友人、母娘の親子が合流した。

着るもの、靴、カッパ、支度はぬかりない。

登らないという数名は、登山前夜は宴会で盛り上がっている。ぐらつく気持ちを押さえて、私と親子は睡眠をとっておかなければと、ロフトの部屋でひたすら目を閉じた。一緒に案内してくれる人はさすが男性だ、皆に付き合って飲んでいる。

翌朝、私達は用意してくれたおにぎりをそれぞれのリュックに入れ、御殿場登山口を目指した。標高900メートルの地点からの車での出発だから近い。

「ああ、楽しみね、この日を何年も待っていたのよ」

「私達も同じです」

私は昨日出あったばかりの親子にすっかり溶け込んでいた。

「どんなに苦しくても、時間かかってもいいから頂上まで行きましょうね」

景色に見惚れている母親に声をかける。

「のぼりますよ、絶対に」

娘さんの方が拳を力強く握って見せてくれる。母親もゆっくりと、もちろん、と頷いてくれる。

日本全国から富士山が登れるこの短い期間を狙ってやってくるのだろう。車は渋滞している。上まで行って駐車場に留められずどんどん下ってくる。でも、もう少し我慢すれば到着できる。

「ああ、気持ちが悪いなー」

運転している男性の顔色が悪い。飲みすぎて二日酔いの感じだ。

女三人は心配して運転席をのぞいた。

「ごめん、やっぱり無理だ、また次回にしては駄目ですか?」

高山病にならぬよう気をつけなければいけない、ぐらいの心構えしか持っていない。持ち物の準備は万全だけど、、彼について行けばいいと人まかせだったから諦めたほうがいい。

「...................」

でも、この機会を逃したら二度とこんなチャンスはおとずれないかもしれない。私達女三人は阿吽の呼吸だった。

「だったら、私達だけでいいから、このまま行って下ろしたら戻って」

「それではボクが無責任になってしまう」

「大丈夫よ、富士山は原宿みたいに人がいっぱい歩いているんだから」

「そうよ、間違えようにも、間違えられないわ」

「そうそう」

三人で口を揃えた。

というわけで、女三人、御殿場の登山口に立った。ドライブがてらこれまでも数回やってきては、お土産売り場でキーホルダーなどを買ってきた。

でも、今回は違う。

いざ出発。

けして、富士山を甘くみてはいない。しかし安易に「間違えようがない....」と言った言葉のしっぺかえしが待っていようとは、夢にも思わなかった始まりだった。

                    つづく

 

 

 

 



ayame1999 at 12:04|Permalinkあれやこれや 

2007年08月06日

魅力的な街...下北沢

「もなかのあれやこれや」

2日の木曜日のフラメンコミセスクラスを終えると、駅に近いカフェ店で軽食をとる。ここでコーヒーを飲むと、長いレッスンで疲れきった体が生き返ってくる。

「下北沢のお気に入りのお店があるんだけど一緒に行かない?」
 皆が一斉に立ち上がったところで、小菊さんが声をかけてくれた。

「どんなお店かしら?夜のレッスンまで時間があるから付き合うわ」
 私のほかにもう一人加わり、3人ですぐ近くの下北沢へゆっくりと歩いていく。

「ここのお店、面白いのよ」
 信号を渡ってすぐの奥まった店。中古の品なのに結構高価なものが多い。とても個性的なデザインばかりが揃っている。

「あのね、とても可愛いアクセサリーのお店もあるから行ってみましょうよ」
一回り見学すると移動。

次の店はあふれんばかりの指輪、イヤリング、ネックレスが並んでいる。とても安価で品ぞろいもあり、見ているだけで楽しい。

「上にもお店があって、とてもいいのがあるの、ちょっと行きましょうよ」
 案内してくれる小菊さんの目は本当に楽しそうに生き生きとしている。

斬新な模様のスカート、Tシャツ、など所せましとハンガーにかかっている。

「ワー、これいいなあ」

私は身体にあててみる。

「もなかさん、試着してみるといいわよ」

私はちょっとためらうが、よしっ..とばかりに試着室に入り着替えた。

「似合うじゃないの」

二人が声を揃えて言ってくれる。店員さんはちょっとこちらを見たが、知らんぷり。値段表を見ると驚くほど安い。

「じゃ、私、奮発するわ。でも、同じデザインだから、あっちのでも構わないんだけど...」

ほんの少しだけ模様が違うものを指差した。

もう一人の仲間がちょっと離れて、私の足から上へと、じっくりとチェックしてゆく。

「ううん、あなたは、こっちの方が似合う。駄目よ、ちゃんと選ばなくては....」

「そうよ」

私は小菊さんと仲間に叱られてしまった。

店員さんにビニール袋に入れてもらい店を出る。スーパーで入れてもらう袋みたいに気取っていないところがいい。それからも、あちらの店、こちらの店と案内してもらった。

ウインドショッピングは好きではない私。例え買う目的で店を訪れても、選ぶために時間をかけたことはない。

でも、小菊さんとお店を回っているうちに            「こういうのもいいなあ」
 と思えてきた。

案内してもらったお店は高価な品ぞろいの店もあるし、お手頃のお店もあるし、とてもお買い得のお店もある。本当に自分にとって楽しめる品が何処のお店にあるか知っていて、お洒落をちゃんとしている小菊さんが素敵に思えた。そして

『下北沢って魅力的な街だな』

とあらためて思った。

これまでも何回も通った道だけど、こんなに強く思えたのは初めてだ。のぞいたお店はどこも初めて入った店ばかりだったからよけいに新鮮に思えたからに違いない。

何より、ごちゃごちゃしているところがいい。

いずれかはきれいに区画整理されるときいたが、それではひしめきあって店が並ぶ下北沢の特徴がなくなってしまう。

そんな考えは、私は外部から来た人間だから思うのかなあ.....。

さてさて、時間が経つのは早いものだ、6時をとうにまわっている。

たまに自習のために貸しスタジオを借りる時がある。そのあとコーヒー店に入る。だが、休みすぎておおあわてでレッスン場へ飛び込む私。

今回も、同じパターン。

ビニール袋を下げてエッチラコッチラ早足で歩いたが、遅刻してしまった。

 



ayame1999 at 00:53|Permalinkあれやこれや 

2007年08月02日

いつかは 前編

「もなかのフラメンコ」

火曜日の昼のフラメンコクラスレッスン。

先週踊ったブレリアの振り付けと全く同じことをやったのに、どうしても最後のコントラがうまく入らなかった。何回も何回も根気よく繰り返して教えてくれる。

「あ〜、出きたー」

と安堵した先生の声。

...と思いきや、次にやると皆の足が揃わず

「また戻ってしまったァァ、さっき出来たのにィィー」

と落胆させてしまう。

中級クラスを担当する先生が、終了時間がせまった頃、スタジオに入ってきた。私達の後ろ姿を見ている。

『こんなに先生が何回も教えてくれているんだから、しっかりしろよー』

声は聞こえないけれど、皆頑張って、と応援してくれているような気がした。でも、本当のところは、呆れていたのかもしれないけれど、私のいつもの『何でもいい方に考えよう』の得意技で勝手に解釈する。

しかし結局、最後まで完璧に踊ることは出来なかったことは気持ち的に辛かった。

中級になるとどっと人数が増えた。人数が増えると急に気持ちが大きくなる。が、まずこの気持ちがいけないのだ....と首を振る。

「大勢で踊っていても、それぞれが独りで踊っているつもりになって、ちゃんと足の音を出さなければいけないよ」

いつも言われている言葉が過った。

二時になった。

十一時から始ったレッスンが終わる。

私は早々と着替えると代々木上原に向かった。

改札口でマンドリンの先生と仲間二人が待っているのだ。

                         つづく。

 



ayame1999 at 01:25|Permalinkフラメンコ 

いつかは....後編 

「もなかのあれやこれや」

予定より早く代々木上原についた。しかし階段を降りていくと、すでにマンドリンの先生と仲間が私を待っていた。

3人が笑顔で迎えてくれる。私は急遽来ることが出来た仲間の腕を叩かんばかりに触れて、声をかける。

「よかったわねぇぇ、これて」

「ほんと、思いがけずによかったわ、私も一度は来てみたいと思っていたのよ」

眼鏡の中の彼女の目はいかにも楽しげだ。

古賀政男記念館に行こうと数日前先生からお話を頂いた。私はフラメンコのお教室から近いし、夜のレッスンまで時間があるので、かえって時間をつぶすのに好都合なので快諾。彼女は用事があるから、と行けないのを残念がった。

そして、当日の朝、私はもう一度誘ってみようと思った。

『もしかしたら、彼女の予定は変わったかも....』

私の感は結構あたるのだ。ピンポン、やっぱり大当たり。おかげで彼女も参加することに。

時折老人ホームやイベントで、古賀政男が作曲したものを演奏する。その関係もあって、前々からぜひいつか見学したいと思っていた場所だった。

駅からほんのわずかで着いてしまう。

昔は広大な土地にお屋敷が建っていたのだろう。今は瀟洒な建物になっていた。隣には日本音楽著作権協会の建物がある。ここも、もとは古賀政男の邸宅だったという。著作権協会の会長をやっていた方だから、土地を提供したのかもしれないな、などと私は勝手に想像してみる。

記念館の中には昔使っていた書斎や和室が移設されていた。写真で見ると、豪華なお屋敷。こんな家に住めるようになるのには、いつかはいつかは...と夢みて作曲に励んだに違いない。

移設された和室にあがる。昭和15年頃の映画が流され、古賀政男作曲の唄が流されている映像に私はしばらく釘付けとなってしまう。超美人の女優に男前の俳優さん。出演者の中にはまだ生きている人もいるだろう。でも、もうテレビや映画に出ていないと思う。

古賀政男も、お屋敷も、映画に映っている人も、過去の人となってしまった。でも、唄は当分の間は残っていくだろう。残せるものがある人は羨ましい。

美空ひばりも往年の有名な歌手も歌のレッスンに通ってきたというお屋敷。表札や重厚な机とソファー、、柱時計。ギターやマンドリンも陳列されている。

古いマンドリンを眺めていると、私は、亡くなった昔のマンドリン仲間を思い出した。愛用したマンドリンを棺の中に入れていた家族の姿が思い出される。あのとき、私達は最後のお別れに皆で演奏した。

みんなみんな、すべてが思い出となっていくばかり。

演歌の神様が住んでいた住居を訪ねたせいか、淋しい気持ちが押し寄せてきてしまう。

さてさて、代々木上原という駅に初めて降りたが、ジャズのお店のような、古いような、結構お洒落なお店が駅の近くに並んでいる素敵な場所。

私は遅い昼食をとり、仲間達はコーヒーとケーキでしばらく話に花が咲く。

しんみりしていた気持ちから、やっと普段の元気が戻ってくる。夜のレッスン頑張らねば...。



ayame1999 at 01:24|Permalinkあれやこれや