カーリングと長崎の鐘観せてくれたのは...誰。

2010年02月25日

響く唄

バンクーバーオリンピックも終盤に入ってきた。
今日私が驚いた種目は、スキークロス。(注:たぶんそういう名前)

4人ほどで一斉に飛び出し、障害物競争のように、急な斜面をものすごいスピードで降りて行くもの。

途中、映画の中で観たシーンの、車がジャンプして宙を飛んでいるみたいだった。
それが女性だったので、私は目をまん丸くしてしまった。

いろいろな競技があるものだ。

さて、フラメンコの仲間の一人がブログを読んでくれたようだ。
「長崎の鐘は、よく知っているのよ。昔よく聴いたもの」
と言ってくれた。
「昔聴いた曲のことは確かだけど、あの唄は、いったい戦時中に作られた唄なのかしら?それとも、後なのかしら?」
彼女は首をひねっている。

「もちろん戦争が終わったあとよ」
私は待ってました!とばかりに言った。

◎モデルとなっているのは長崎医大の永井博士という人。
◎原爆が落とされてから後、自宅に戻ると奥さんのロザリオがあったので、かろうじて奥さんの骨だと判ったこと。
◎疎開していた幼い子供二人は助かったこと。
◎バラック小屋を建て、子供と住んだこと。
◎自ら被爆している身で、救護活動をし、駅で倒れたこと。
◎倒れてから、数冊の本を書いて残し、亡くなったこと。

私は、知り得たことを、機関銃のように並べたてた。

「ねえ、歌詞を載せておいてね」
彼女は、しんみり言った。

昔聴いたことのある曲を、もう一度ちゃんと詩を読み返したいと思ったのだろう。
その気持ちに私は、胸が熱くなった。

こうして心に響く唄は、時を経ても、何かの縁で再びまた蘇ってくる。

歌詞の中に出てくる
『こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ』
『かたみに残るロザリオ』
『召されて妻は天国へ』

何処にも戦争反対などと書かれていないサトウハチローさんがつくった歌詞。
その隠された意味を知ったことに、私は感動を覚えている。

昔、仕事の途中で長崎に寄ったことがある。
あのとき、この曲を知っていたら、
浦上天主堂の鐘も、知識としてではなく、もっと別の感じ方をしていたに違いない。
  「長崎の鐘」
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

戦争反対と声を大にして叫ぶことは、私には出来ないけれど、この曲の紹介は出来る。
美しい曲だもの。

★☆☆★ ★☆☆★  ★☆☆★ ★☆☆★

カンテも、聴く人の心に響くように、まごころ込めて唄いたいと思います。

瀧本正信カンテ教室発表会
日時:2月28日(日) 13:00開演(12:30開場)               会場:新宿エルフラメンコ



ayame1999 at 01:59
カーリングと長崎の鐘観せてくれたのは...誰。