マンドリン
2011年02月09日
舞台を観たら...。
土曜日夜。
最後のマンドリン練習のあと駆けつけた新宿文化センター。
日本フラメンコ協会の舞台。
翌日の日曜日を前にして、人混みに入り風邪をうつされたら、と心配していた。
しかし、そんなことを考えていたら、電車にも乗れない。
「サッサッサッ」
新宿駅から早足で向かった。
遅れたけれど、まだまだ大丈夫。
会場に着くとドアが開いて、出てきた人が、化粧室に向かっていく。
ちょうど一部が終わり休憩時間に入ったところだった。
いろいろなお教室の先生方も出演していた。
食い入るように観ていると、あっという間に時間は過ぎていく。
「何と素晴らしい舞台!」
そして、はっ、とさせられたことがあった。
特に年が明けてから、出来ないことがあり、悩んでいたことがある。
演奏会が近づくと更に...。
それが、具体的に「これが..」とは解らないけれど、舞台を観たら答えをもらった。
迷っていたことは、踊りとは、別の分野なのに....。
目が冴えたままベッドに入り、日曜日に演奏会を迎えた。
一部、二部は私は皆との演奏に徹する。
そしていよいよ、三部の時間。
指揮者の方とテノール歌手の方と三人で、舞台の袖から出て行く。
あれほど悩んでいた自分は、もういない。
恐がっていた自分もいなかった。
私の背中に、皆の素晴らしい演奏が押し寄せてきた。
すると、曲の中に出てくる白い馬が、姿を現した。
競馬場で走る蹄の音も、たくさんの矢から、走って、走って、必死に逃れていく様子も見える。
命を落としたときの場景も。
唄が聞こえてきた。
私は、安心してモンゴルの草原の中でマイクを持ち、語りをしていた。
厳しいけれどユーモアたっぷりに、導いてくれた指揮者の方。
普段指導して下さっている先生は、この曲ではギターで参加。
すべてが、がっちりと手を結んでいた。
おかげで、私は、一生涯忘れられない演奏会となった。
壮大な演奏も耳にこびりついている。
CDが出来上がるのを楽しみにしているしだいだ。
2011年02月05日
ひとつひとつ..。
いよいよ目が覚めたら土曜日の朝、マンドリン演奏会の練習、最後の日がやってくる。
泣いても笑っても最後だ。
夕方五時に練習を終えたら
「ダッシュ!」
日本フラメンコ協会設立20周年記念公演会場に向かうことになっている。
危ない危ない、あぶなかったー。
中野のゼロホールに行くつもりでいた。
フラメンコ協会の舞台の時は、ほとんど中野ゼロホール。
他のホールの時もあるのだろうが、頭から決めこんでいた私。
ちゃんとチラシに会場が記されているのに...。
木曜日のクラスのあと、誰かが、「間違えないように..」と言っている声が耳に入ってきた。
救われた。
今回の記念の舞台は、5日と6日の2日間。
土曜日は、所属しているフラメンコ教室の先生方が出演する。
日曜日だったとしたら、演奏会と重なり観ることは出来なかったことになる。
翌日も観たかったけれど、欲張ってはいけない。
「よかった」
と思わなくては。
ひとつひとつ過ぎていき、近づいてくるものもある。
すぐに梅が終わり、桜が....となるのだろう。
駆け足で季節は過ぎていってしまう。
2011年01月31日
これがあるから....。
土曜日、私は後ろ髪を引かれる思いで、フラメンコクラスを早退した。
2月6日に控えている、地域で続けているマンドリン演奏会。
演奏会は数え切れないほどやっているけれど、ジョイフルコンサートという名前の演奏会は二回目。
残されているのは、昨日の土曜日練習と今日の日曜日、そして来週の土曜日にリハーサルが残されているだけ。
「行かなければ...」
スタジオをあとにすると、途中、マンドリンを預けていた場所に寄る。
練習場所はいつもとは別の場所。
何とか間に合って、ほっとした。
『あら..、◎◎さんが来ているわ』
二週間前に御主人を亡くした◎◎さん。
本番の舞台に出演出来ないかもしれないな、と心配していた。
「よかった、来てくれて」
言葉がそれ以上、出てこなかった。
御主人は医師だから、残された自分の命があとどのくらい残っているのか解っている。
それ故、よけいに辛い、と◎◎さんが話していたのはつい数ヶ月前のことだ。
◎◎さんは、私には、これがあってよかった、とマンドリンを指すと大事そうに抱えた。
娘さんに、家の中にばかりいないで、行ってらっしゃい、とすすめられたという。
御主人にも聴いてほしかったであろう演奏会。
私も、
「これがあるから...」
と言えるものを大事に続けたい。
さて、今日の練習も大勢の人が参加しての練習だった。
休憩時間、私の周りで、99歳の詩人、柴田トヨさんが書いた本の話しになった。
私もアマゾンで、中古品で購入し、昨夜読み終えていた本。
薄い本だからすぐに読めてしまう。
ちょっと笑えるものもあるし、何気ない言葉でも、ぐっと胸にせまってくる作品、といろいろ。
その中に出てくる、一つの詩が話題になった。
話しているうちに、まったく哀しい詩ではないのに、私の目から急に泪がこぼれた。
あわてて、いつも持っている目薬をカバンから出すと、点滴した。
「あー、すっきりしたわ」
疲れたみたいと言い、目をパチクリさせる。
休憩時間が終わり、会長さんが、次に練習する曲目を告げた。
私は指揮棒を見つめた。
☆★☆★☆
追記
サッカー決勝戦勝利。
眠たい目をこすりながら観戦しました。
といっても、ベッドに入りながらですが...。
「おめでとうございます」
2011年01月10日
その時を精一杯に..。
「もなかのあれやこれや」
2月6日に地域で所属しているマンドリンクラブの演奏会がある。
大きなホールだから、一人でも多くの人に聴いてもらいたいと皆と頑張っているところだ。
もう目の前。
フラメンコの発表会と重なっていなかったことが私には救いだ。
9日の日曜日は、昼過ぎから、それに向けての合同練習だった。
『ああ、怖いナー、ナレーションのとき、間違えたらどうしよう。譜面を見失ったらどうしよう...』
曲にオペラ歌手の方の唄が入る。
前回の練習の時に、指揮者の方に細かく指摘されたことが私の頭を過ぎっていく。
緊張は増すばかりだった。
しかし、指揮者の方は、私の性格を見抜いていたのだろうか。
へんなところに強くて、
へんなところに弱すぎる自分。
へんなところに我慢強くて、
へんなところに、諦めが早い自分。
「この間、注意したことは参考にしてほしい、という意味ですからね。あとは、どうぞ私の言ったことを取り入れながら自分の言葉で朗読してください」
指揮者の方の言葉に救われた。
途端に重しが外れ、自分のイメージ通りに読み進んでいくことが出来た気がする。
うまくいったとか、失敗したとかいう解釈ではなく、おかげ様で、没頭することが出来た。
40名以上になるだろうか、演奏も、どんどん素晴らしいものに仕上がってきている。
さて、練習が終わると、マンドリンを抱えたまま、今度はフラメンコ教室の新年会へ向かった。
こちらは毎度のことながら熱い人ばかり。
忘年会に出れなかったから、その分、新年会で大いに語り、聴き、心を新たにしたしだいだ。
2010年12月19日
生きている声.. 第535編
17日の金曜日、「ふれあいコンサート」という場でマンドリン演奏をしてきた。
平日だったので、全員は無理。
10名ほどでの演奏となった。
聴いてくれたのは、車椅子の方や、高齢者の方々に付き添いの方々。
会場内で、お手伝いをしている方達もいた。
曲は、懐かしい歌謡曲から、テレビドラマ主題歌。
そして、演奏だけのビートルズ等など...。
歌詞が配られていたので、皆、楽しそうに口ずさんでくれる曲もあった。
終えると、主催者の方々は、私達にお礼の言葉を言ってくれた。
でも、私は頭を下げながら、心の中で言葉を返す。
「こちらこそ、素敵な顔をみせてくれてありがとう」
空気がもれるようなかすかな声もあった。
素敵な声で唄いあげるよりも、私の耳に、そして胸に響いてきた。
上手でも、死んでいる唄。
へたでも生きている声がある。
演奏が終えると私達メンバーは、聴いてくれた方々の間に入って、ティーとケーキをご馳走になった。
「生まれた年はね、関東大震災が起きたときなんだ」
目の前に座っている男性が話し始めた。
私の横には、付き添いの方。
「目の不自由な方や、身体の不自由な方が、舞台に行きたい時にもお供するんですよ」
と言っていた。
こういう会を時々開いているのだろうか。
主催者側の人達は、エプロン姿でティーを注いだり、かいがしくテーブルを回っている。
私のカップの中にも、おかわりを入れてくれた。
たまらなく、美味しい。
「世の中には、いろいろな人がいるな..」
今の自分でいいのかな。
どうしたのだろう。
これまでだって、今回のような場所で、たくさん演奏したきたことがあったのに。
今までとは、まったく感じ方が違う自分がいる。
時間になって私達は席を立つ。
ドアの外では係りの人に交じって、94歳の若々しいおじいさんが笑顔で見送ってくれた。
2010年11月12日
我慢より「GAMAN」が好き。
2月の演奏会で弾く、大曲「白い馬」
私は、まず、タイトルを目にした時から惚れこんでいた。
今回、初めて、この曲の為に、外部の方に依頼した指揮者の方。
一回通して終わりまで演奏すると、今度は細かく区切りながら練習していくとのこと。
緊張の面持ちで前に出ていた私。
ほっとして、自分の席に戻った。
「すいませんね。朗読の方は、どうぞ休んでいて下さいね」
「はい、心の中で読んでますから、大丈夫です」
私は首を伸ばして、指揮者の男性の方に応えた。
「ありがとうございます。それでは、わたしも心の中で台詞を聞きながら指揮をすることにしましょう」
何とウイットな言葉なんだろう。
お歳は結構上の方だとお見受けした。
でも、気のきいた言葉だけでなく、皆の顔から笑みがこぼれてしまう例え話が出てくる。
それからの演奏は、冗談だけでなく、それはそれは細かく注意が飛んだ。
いつも指揮をして下さっている先生もギターの人達に交じって弾いている。
何だか、楽しそうに見えるのは、私の気のせいだろうか。
「あー、こういう時間っていいなー」
皆と一つの目標に向かって集中している時間があるということは、尊いものだ。
さてさて、話は全く変わる。
先ほどNHKのクローズアップという番組を見た。
「GAMAN」という言葉を知る。
アメリカに移住した日本人が苦労して、やっと何とかめどががたった時、真珠湾攻撃が起こり、移住していた日本人が収容所に集められた時の事を放映していた。
不自由な生活。
物もろくにない中での暮らし。
そんな生活の中でも、諦めず、前に前にと向かい、目を見張る工芸品もつくっていたことが紹介されていた。
今、アメリカで陳列されているという。
拾った木の枝、
土を掘って取りだした貝殻、
ひまわりの種で作ったアクセサリー等等..。
「GAMAN」した故に、素晴らしい作品ができあがったとある。
ものをつくることによって自分の憤りや、思いを代弁させていたのかもしれない。
下手でもいい。
私も、ずっと、諦めず歩いていきたい。
2010年10月05日
さよならは言わないで..。
朝8時30分。
2日の土曜日、私は杉並公会堂玄関前に到着した。
まだ時間が早すぎて、中には入れない。
楽器を持った仲間達が続々と到着し、大きな固まりとなっていく。
「おはようございます、きょうは、よろしくお願いいたします」
あらちこちらから、同じ挨拶がこだましていた。
いざ、リハーサルがはじまると早いものだ。
あっというまに時間が過ぎていく。
私は開演15分前には舞台そでにスタンバイした。
そして、影マイクで、お客様にお願いの案内をする。
終えてから、上のモニターを見た。
受付と会場内が映し出されていた。
『あっ、◎◎さんと△△さんだ!』
鮮明ではない。
でも、はっきりとフラメンコ仲間だと判った。
どうしたのだろう、受付に立ったままだ。
私は画面を凝視する。
すると、別のフラメンコの仲間が、あわてて受付にやってきたのが見えた。
『おかしいなあ、一緒に来たはずなのに...、化粧室にでも行ってたのかなあ』
もう一つのモニターに視線を移す。
こちらは会場内が映っていた。
前回、長蛇の列が出来て苦情が出て10分前には開場した。今回も臨機応変に10分前に開場したとのこと。
一階はすでに満席になっていた。
五分前のチャイムが鳴る。
私は、再びマイクの前に座る。
さて、本番中、楽しくて楽しくてならなかった私。
小さな花という曲を、クラリネットの人が立って聴かせてくれたとき...。
ギターの音色を静かに響かせてくれたとき....、
バンバンバン、タラタラタジャジャ〜んと踊るようにかっこよかったドラム。
全ての音を楽しんだ。
管楽器、キーボード、リュート、セロ、ベース等など..、後ろに並んだ人達の姿にも見惚れた。
「何て素晴らしい演奏会なんだろう」
というのは、聴きに来てくれたお客様が云う言葉だ。
でも、私はその言葉を、皆に向かって心の中で声をかけていた。
最後の曲が終わると、客席からゴオオォーという、うねりとなって伝わってきた。
終わりたくない、と思った。
足を運んでくれたお客様と....、
これまで練習してきた時間と...、
別れたくなかった。
「さよなら」なんて言いたくない。
でも、終わりはやってくる。
さて、翌日の夜のことだ。
私は、外国から来ていたフラメンコの仲間が急遽帰国が決まったので、送別会の会場となっている居酒屋にやってきた。
五年間一緒にレッスンを共にした。
優しくて、情があつい人だった。
一緒に練習してきた日々は、きっと懐かしい日々の一頁になる。
いい思い出をもらった。
この日も、「さよなら」なんか云いたくなかった。
定石の言葉になってしまうけれど、「さよならは出会いの始まり」と思えばいいということか。
それ故、また新たな目標に向かって、マンドリンも頑張れるし...。
夜が明け、朝との出会いも、あと数時間でやってくる。
おやすみなさいませ。
2010年09月30日
手の力は抜いて...第520編
「9月の中旬なのに何という暑さなんだー!」
汗を拭いつつ憤っていたら、急に寒くなったり...。
体調には、急激な気温の変化は大敵。
雨もあがり、やっと少しずつの変化になって、ほっとしている。
水曜日。
午前中、少々のデスクワークを済ませると、午後からマンドリン合奏練習に行ってきた。
場所は、いつもとは違い、赤羽。
学校が廃校されて、様々に利用されているという。
「つかこうへい」さんの劇団が稽古に使っていた場所でもあるらしい。
「遠くまで、大変でしたでしょ、ご苦労様」
午前中から練習していた人が、声をかけてくれた。
「そうそう、お忙しいのに...」
別の人も言葉をかけてくれる。
「....?」
私は、頭の中で考える。
車で千葉の松戸からやってきた方もいる。
茨城県から来ている方も。
『私の方が、近いよ〜』
あわてて、私は首を振り頭を下げる。
通常の練習のときも、毎回、同じように優しく声をかけてくれる。
そのたびに、ただただ恐縮してしまう私だ。
細かい指示も飛んだ。
今回は、あくまで自主練習なので、少人数。
でも、それ故に、普段見落としていた譜面の間違いに気づいたり。
本番の舞台ぎりぎりになって気付いた自分がちょっと情けなくなってしまった。
当日は大勢だから私の姿は見えないかもしれない。
でも、聴き分けられなくても、私の音色は届くはずだ。
あと数時間しか練習出来なくても、精一杯力をふりしぼりたいと思っている。
でも、ピックを持つ手の力は、抜いて..。
自ら云ってはいけないだろうか。
きっと素晴らしい演奏会になると確信し、楽しみにしている私だ。
おやすみなさいませ。
2010年09月19日
金色の人
土曜日、私はマンドリンの練習場に向かった。
家から約、一時間半かかる。
朝10時から5時までの練習。
短い休憩時間の折、私は隣の人のハーモニカをみせてもらう。
マンドリンも弾くけれど、ハーモニカのプロの方。
そのハーモニカは、私が見慣れているものとは、大きさ、形が違っていた。
吹く処も金色に輝いているし...。
「こういうの、初めてみた...」
家族もハーモニカを吹くので、ちょっと間近で触らせてあげたいな、と思った。
フラメンコで相当鍛えていると思っている私。
でも、グッタリ。
合奏する人達は、ほとんどが私よりも年上の方々。
さぞや、同じように疲れ切っているに違いない、と思って周りをみた。
びっくり。
休憩時間なのに、マンドリンを弾く人が、ギターを借りてつまびいている人もいるし、キーボードを弾いている女性が、セロを膝に置いて弾いている。
そして、あちらにも、こちらにも...。
『すごいね!』
ブログにも数回前に書いた、丈夫ではなく、頑丈なんだ、と思った光景が浮かんできた。
その時の人達とは、まったく年齢層は違うけれど、同じ言葉が頭を過ぎる。
皆が輝いている。
金色に。
さてさて、10月2日の演奏会まで、もうひとふんばり。
「お客様でいっぱいになってしまったら、舞台の後ろの席も使うことになっていますから」
安心して下さい、と、連絡事項の折り説明があった。
本当にそうなったら、何て嬉しいことか。
可愛いプログラムが出来上がったとのことで、当日を楽しみにしている。
でも、このチラシも、とても気にいっている私だ。
注:招待ハガキがないと入場できません。
2010年08月24日
2010フラメンコ新人公演.最終日
「もなかのマンドリン&フラメンコ」
22日の日曜日、私は昼からマンドリン合奏練習のため、南阿佐ヶ谷にいた。
心の中では、フラメンコの新人公演が気になってしかたない自分がいた。
私の隣に、途中から編曲をされている方が座った。
「フー」
肩で大きく、息をはいた。
指揮を別な方と代わったばかり。
ほっとしたのと、疲れが出たのだろう。
今度は一緒にセカンドマンドリンを弾いてくれる。
代わったばかりの指揮者の方が、指揮棒をもち、皆を見回した。
静寂が訪れる。
私は自分を恥じた。
10月に大きなコンサートを控えている。
その日に向かって、裏方でコツコツと皆のために時間を費やしてくれている人達の息づかいが、四方から聞こえてくる気がした。
そして、フラメンコの新人公演と同じだと思った。
必死に練習している人達の表情。
フラメンコも大事だけど、何かに向かっているときは、尊敬の気持で、その瞬間を過ごしなさいね、と教えられている気がした。
当日唄ってくれるオペラ歌手の方も加わった練習は終わった。
そして、諸々の時間を過ごしたあと
「お先に失礼します」
タクシーで中野ゼロホールへ。
わりと近くて、ほっとする。
カンテの部はすでに終わり、バイレに入っていた。
曲の合間に、スルスルと私は空いている席に座る。
ギターやバルマに気をとられては、と思い、時々目をつぶり、足の音を聴いたり...。
自分ながらの感想を、頭に叩き込む。
そして終えた、深夜。
何と早いのだろう、もう結果が発表されているではないか。
結果をみて、
「わー、やっぱり...」
と思った人もいるし、
「この踊りなら...」
と思っていた人が、残念な結果になっていた人もいた。
でも、いい踊りをみせてくれた方は、ちゃんと忘れない。
今年のフラメンコの新人公演の最終日。
遅刻をしてしまった私だけど、昼と夜、濃い一日を過ごさせてもらった。
それにしても、私は、何でこんなにフラメンコが好きなんでしょうね。
映像、音楽:NHKクリエイティブライブラリー使用し、もなか編集。右端クリックでフルスクリーン。
2010年06月29日
演奏の力こぶ...。
「もなかのあれやこれや&マンドリン」
ワールドカップ、サッカー試合。
前回の夜中の試合。
熟睡していたけれど、例のごとく、寝室の上のリビングから、元気すぎる応援。
私は眼を覚ましてしまい、ベッドのそばの小さなテレビをつけ、観戦。
振り返ってみれば、見逃さなくて
「良かったー」
という結果となった。
火曜日の夜にある試合はどうなるか...。
どっちになっても、ここまで来たのだから、すごいことだ。
さて、私は泊まり込みで、日曜日、月曜日と、高尾にある、わくわくビレッジという施設に行って来た。
東京で所属しているマンドリンクラブの合宿があったのだ。
10月2日に演奏会がある。
きっと本番は50名ぐらいの出演者になるのだろう。
そのうち、35名ぐらいの人が参加。
朝から、そして、夕食を終えてからも練習が続き、翌日も朝からみっちり。
「疲れたねー」
地域のマンドリンで一緒の3人と、休憩時間にすれ違うと、つい弱音をはいてしまった。
「いけない、いけない、皆、頑張っているのに...」
40年前に結成したという会のメンバーは、他のクラブにも所属している人が多い。
新しいメンバーが交じっているけれど、ほとんどの人が、私より年上。
長時間の練習なのに手は抜かない。
演奏の力こぶを感じた。
「へたばって、どうするんだ〜」
私は自分に渇を入れた。
毎度のことながら編曲者、指揮者、匠の技のような演奏をする人達。
地域のマンドリンの人達だって素晴らしい人達ばかり。
でも、楽器の種類が多い、ここの会。
自分で弾きながらも、耳に新しい楽器の音色に聴き惚れてしまった。
昼食後の休憩。
私はカンテの先輩に電話を入れる。
「もしもし、すいません、きょうはお休みします...」
夕方の休憩時間。
高尾から中央線に乗れば、カンテの練習場駅にわりと近いことを知る。
再び先輩に電話を入れた。
「もしもし...、間にあいそうですから、やっぱり行きます」
一曲だけ唄って、早く帰ってくればいいと思った。
へとへとに疲れていたけれど、考えてみれば、早い時間に就寝。
睡眠はたっぷり取った。
いつもよりたくさん寝ているのだ。
夜。
カンテの練習場。
大丈夫。
ちゃんと決めた通り、早退して帰ってきた。
2010年05月13日
400円の贅沢..第490編
水曜日、私は東京のマンドリンクラブのパート練習に出かけた。
今回の練習場は杉並公会堂。
「ああ、1時間以上かかるから、座って行きたいなー」
最寄りの駅のホームのベンチに腰掛けた私。
フラメンコのレッスンのときは、電車の中、立ったままでも、苦にならないのに...。
たまに向かう場所だと気持ちが違うのかもしれない。
途中の駅から、ロマンスカーに乗り換えられるのにちょうどいい時間。
重たい荷持ちも下ろせ、気がかりな曲の楽譜に、ゆっくりと目を通すことも出来る。
『よし!400円でゆったりな時間を持てる方を選ぼう』
というわけで、私は途中の駅でチケットを購入すると、乗り込んだ。
私の席のはずの窓側の椅子に男性が座っていた。
戸惑う私の表情を、すぐに読み取った男性。
「いいですよ、窓側の席ですけど、こちらに変わってあげても..」
男性はそういうと、立ち上がって、私を奥に入れようとした。
その言い方が、どこかひっかかる。
「いえいえ、いいんですよ..、どうぞ、どうぞ、戻って下さい」
何処の席だって構いはしない。
窓側であろうと、通路側であろうと。
他に空いていれば、そこでもいいのだけど...。
「でも、お宅は、窓側の方がいいんでしょ....?」
私の顔は、そんな事を言いたい、という顔をしていたのだろうか。
男性の言い方は、きつかった。
「いえいえ、私は、こちらでかまいませんから..」
「いやいや、いいですよ。変わってあげますから」
「はあ...」
「ところで、お宅の席は、ここで間違えないですよね...」
男性は、自分のチケットを見ながら、私に念を押した。
「はい...」
周囲の乗客の目が私に向けられている。
「9号車の...番ですよね」
私は、おそるおそる口にした。
男性が急にキョキョロ見回した。
「なんだ、ここは、8号車じゃなかったんだ」
疾風のごとく、その場を男性は立ち去った。
まったくもう!
何が、変わってあげてもいいですよだー、
と私は言いたい。
結局、隣の席は誰も来ず、ゆったり出来たから、怒りはすぐにおさまったけれど。
2010年03月14日
いい顔に向けて...。
日曜日、ひふみレインボーというコーラスの舞台を観て、途中まで一緒のフラメンコのミセス仲間と食事して帰宅した。
素敵な舞台で、ひとことでもそれを書きたくてパソコンを開いた。
そして、その前に、
「さてさて、夜中に書き込んだブログにハイクを貼り付けよう..」
と操作していたら、
ギャー
エラーが出て投稿した時刻はそのままで、記事が消えてしまったよー。
せっかく書いたのに。
ああ、眠いのを我慢して書き込んだのに。
泣きたい。
悔しいから、記憶を頼りにもう一度書き込むことにした。
私の記憶が試されているみたいだ。
土曜日、我が家の近くの公民館で、マンドリン合奏の演奏をしてきた。
前日、弾きながら司会もするようにと連絡が入り、私はあわてて用意をする。
ファイルの中に、楽譜が順番通りに入っているかも確認した。
当日。
本番は3時半からだけど、お客様が早めに会場に集まってしまったので、時間までに、何か、つなぎでしてほしいと係の人に言われ、私達はあわてて、控え室から出ると、舞台に上がった。
つなぎに...と言われても途方にくれてしまう。
とっさに先生がメンバーのギターを抱えた。
私は、ハンドマイクを取り上げ
「プログラムの番外編として、ギターソロを演奏致します」
と、案内した。
お客様達は大喜び。
アルハンブラや、懐メロが流れる。禁じられた遊びが終えると、開始時間にちょうどなった。
いざ始まってしまうと、終わるまであっという間。
ありがたいことにアンコールを頂いたけれど、譜面を用意していない。
「演奏した中から、一曲リクエストしていただけますか」
数人の手が上がった。
私は賑やかに終わりたかったので
「皆さんと、世界旅行をしている気持ちでお別れしましょう」
と言い、80日間世界一周の曲を案内した。
無事に終了した。
『おかしいなー、いつもと違うカンジダナー』
楽しくて楽しくて、心が躍っている。
これまでも、進行役を何回も務めさせてもらっているけれど、毎回、失敗しないことばかりを考えていた。
でも、今回はあまり緊張せずに、自然と話すことが出来た。そして、何より、話すことが楽しかった。
『なぜだろう』
私は着替えながらも考えていた。
ふと思いついた。
『このブログのおかげだ』
身近に感じた事などをブログに録音したり、自分の記事を声にして保管してきた。
その作業は、無機質なパソコンに向かって...。
でも、同じマイクを握っていても、今回は目の前に人がいた。
頷いてもくれる。
メールや電話は、相手の姿は見えないけれど、特定の人に向けて発信している。
パソコンも相手の姿は見えないのは同じだけど、電話やメールと違って、特定の相手に向かって、私は録音しているのではない。
心をもたないパソコン向かって話しかけたきた、ということ。
そんなことを繰り返していたら、緊張状態でも、人と向き合って話せることは、楽しいこと、と思えるようになったに違いない。
今更ながら、こんな当たり前のことを、気付かされた気がした。
みんな、いい顔だったし..。
2009年11月25日
文字はいらない辞書
[VOON] その身に 「もなかのマンドリン」
日曜日、月に一度参加している、マンドリン合奏の会に阿佐ヶ谷まで行ってきた。
指揮者の方の厳しい指摘が飛ぶ。
ギターのパートの人達や、管楽器、そしてマンドリン、と個別に細かく注意される。
『すごいなあ』
もしも、私だけ、ずっと注意されながら一人で演奏を求められたら、めげずに、何度でも繰り返す事が出来るだろうか、という思いが過ってしまった。
しかし、慣れもあるかもしれない。
厳しさに対して、最近、快感を覚えるようになり、身が引きしまるようになった。
ところで、再び驚かされたことがある。
反対側に座っていたマンドラを弾いていた男性が、私のマンドリンの音色を褒めてくれた。
前、前回で、
楽器に声をかけ大事にするようになったら、数人のに仲間に私のマンドリンの音色を褒められた、ということを書いた。
もちろん、演奏ではなく、楽器の音のこと。
何と!
この方は、私と同じ制作者にマンドリンを40年前に作ってもらったという。
普段はペースを弾いている方。
だから、今もマンドリンを弾き続けているのかは訊いていないが...。
(この方は、この日、急遽マンドラを弾くように言われ、借りて弾いていたという。何でもこなせる方)
その話を聞いて私は安堵する。
心配していた私のマンドリンの寿命。
「心配なーし」
あと15六年はOKということになる。
酒席は盛り上がっていく。
音楽談義にも花が咲いた。
譜面のことにも。
音楽に関係ない話も。
相当なお歳の方ばかりだけど、先輩後輩、年配者への礼儀等、お説教ではなく、ユーモアたっぷりに意見を交わしているのが印象深かった。
趣味の世界だから、肩書なんか私は何も知らないし、知る必要もないけれど、とにかく様々な事をよく知っている人達ばかりだ。
毎度のことながら、知らないことを教えてもらえることは、とても楽しい、と、心がおどった時間だった。
さて、翌日の祭日は、昼間にカンテ教室に向かった。
四苦八苦していたレトラ。
やっと覚えられたようだ。 つづく...。
2009年11月18日
マンドリンの命...第440編
14日土曜日は地域の集まりで、公民館でマンドリン演奏をしてきた。
いろいろなサークルが出演するのではなく、私達だけの演奏。
これまでも、数回依頼して下さった集まりだ。
朝10時に集合し、本番の1時半まで、びっしり合奏を繰り返す。
最近、ほとんど練習していない私は、
「女は度胸だ!」
と臨む。
終えると、会場の外で
「次回もぜひお願いします」
と顔見知りの方に声をかけられ、リクエストもされた。
こんなとき、きまって私は、続けてきてよかったな、
と思ってしまう。
自分で楽しむのもいい。
でも、喜んでくれる人がいると、やりがいがある。
そして翌日の日曜日も練習日となっていたので参加。
さて、最近思うようになったことがある。
マンドリンも息をしているに違いない....と。
私はケースからマンドリンを出すたびに、
昭和63年制作、制作者○○
と手書きで書かれている文字を覗き込むようになっていた。
新しいものに変えてから、ずいぶん経ったことになる。
私は文字に向かって
「もうちょっと、がんばってくださいよ」
と、心の中で言うようになっていた。
マンドリンは消耗品。
だとすると命はわずかかもしれない、と不安なっていたからだ。
不思議なことが起きた。
「いい音が出るマンドリンだから、大事にした方がいい」
何人かの仲間から、同じ言葉をかけられた。
演奏のことではない。
楽器のもつ、音質のこと。
「あれ?マンドリンは、私の気持ちを判ってくれたのかな...」
私は、本気でそう思った。
毎回、文字を見つめ言葉をかけていると、亡くなってしまった制作者の人に通じるのかも....と。
だとしたら、もっともっと、私の膝で大事に包み込んであげなければ..。
フラメンコと同じくらいに愛情を持って。
消耗品と言われても、命は延びるはずだ。